ムンスター戦車博物館7
西ドイツの戦車・各車両


廃墟の「ドイツ零年」、そして1949年の連邦共和国(西ドイツ)成立。東西冷戦の渦中にあって、西ドイツ軍が産声をあげました。
本来この博物館は、ムンスター戦車兵学校の教育施設であり、車両に関しても西ドイツのものが一番充実しています。まさに、西ドイツ戦闘車両の歴史そのものと言えるでしょう。
ムンスターの展示は、戦後供与された車両や、評価のため購入した車両が充実しており更に試作車両が多いのが特徴となっています。

残念ながら、教育用としての展示なので撮影条件が悪い車両も多く、撮影に関しても、どうしてもWW2に関心が向いてしまったため、写りが良くないかもしれません。どうか容赦ください。
また根本的に知らない車両が多いため、案内板やガイドブックの誤訳があるかもしれません。掲示板でご指摘いただければ助かります。



ホチキスTT6 4転輪タイプ
輸送車両「カーゴ」
ガイドブックによれば、フランスのホチキスTT6、4転輪タイプから開発された小型歩兵戦闘車との事です。西ドイツ国防軍成立時に180両調達され、輸送・訓練車両として使用されたそうです。
164馬力ガソリンエンジンを搭載、自動変速機は用いず、前進4速、後進1速の単層ディスククラッチとなっています。
DVD「遠すぎた橋」を見ていたら、これらしき車両がハリボテ砲塔を載せて登場していました。




ホチキスTT6 5転輪タイプ(SPz11-2)
ホチキスTT6の5転輪タイプから開発された車両各種です。バリエーションは様々あり、1958年から62年にかけて総計2374両が製造されています。1958年から初期の西ドイツ国防軍を支えた車両になるようです。

写真左上は、軽偵察車両(SPz11-2)で、傾斜した前部にエンジン、後部に兵員室があり、85口径BNK20mm機関砲を搭載した一人用砲塔が付いています。偵察隊や自動車化歩兵大隊に配備され、1975年にリンクス偵察車両と置き換わりました。

下写真は、81mm迫撃砲搭載タイプ。これは1969年まで使用されたそうです。

写真左下は、手前が戦場監視レーダー搭載車、奥が救急車両になります。



HS30(SPz12-3)
第二次世界大戦の装甲擲弾兵の教訓から、歩兵が乗車、下車いずれの体勢でも戦闘可能な歩兵戦闘車両(IFV)として開発されたのがこのHS30です。ガイドブックによれば画期的な世界初のIFVとなるそうで、1958年に初めて導入されました。
本来は20mm機関砲塔を搭載しているのが正式なHS30のようですが、写真の車両は火力支援部隊車両なので砲塔が搭載されていないようです。

生産台数は2176両、229馬力ロールスロイスガソリンエンジンを搭載しています。



90mm対戦車自走砲 プロトタイプ2
(カノーネヤクトパンツァー MK3/1u.3/2)
WW2の駆逐戦車を参考に開発された車両です。そのスタイルは4号駆逐戦車を彷彿させます。
最初はIFVのHS30に90mm砲を搭載しようとしましたが、この開発は上手くいかず、1950年代末にハノマーク社とヘンシェル社の2社に開発が命じられます。これにより試作型1及び2で試験量産型の、RKおよびHKタイプ24両が製造されました。
写真の車両は6転輪の試作型2HK3/1・HK3/2で、博物館入口の外に展示されていました。

量産型は転輪が5となり、770両が生産されました。1983年には162両がTOWミサイル(ヤグアル2)を主兵装に変更、さらに450両が支援車両や指揮車に改造されました。
1972年にはベルギー陸軍が、レーザー測定儀や新型火器管制装置等が装備した改良型80両を購入しています。



自走式対戦車ミサイルランチャー
(ラケーテヤクトパンツァー2)

HS30対戦車ミサイルランチャーの代替として1967年に316両が製造され、フランス製第一世代対地戦車ミサイル(AGTM)SS11(有効射程800-3000m、搭載数14)を搭載した対戦車車両です。上記の90mm対戦車自走砲と同時に開発され、車体やシャーシは量産型と同一物が使用されています。

このシリーズは1978年、第二世代AGTMのHOT搭載の「ヤグアル1」に改造され射程が3800mに、搭載数も20発となりました。1997年には80両がオーストリアに輸出されています。その後TOW搭載の「ヤグアル2」となったはずですが、ガイドブックには記載されていませんでした。
「大戦略」世代には「ヤグアル」と書いた方が通りがいいでしょう。


プロトタイプ

おそらくA1、鋳造砲塔

A1A4、砲塔の増加装甲に注目

A3以降ですが、その試作かも
レオパルド1
戦後ドイツが開発した初の本格的主力戦車「レオパルド1」です。
ドイツにとっては思い入れの強い車両なのでしょう、ムンスターには様々な車両が展示してあります。

1950年代、主にアメリカ製のM47を配備していた独仏伊3国は、次世代戦車「新欧州戦車」の共同開発に同意。ドイツではシリーズ1試作車両として2つの企業グループによる開発が行われ、グループAはMaK、ユング、ルーター&ヨルダン、ポルシェの4社。グループBはヴァルネッケ、ラインシュタールハノマーク、ヘンシェルの3社によって開発が行われました
その後フランスは独自開発車両AMX-30に、イタリアはアメリカのM60ライセンス生産(後にドイツからレオパルド1の購入も)を行う事になって「新欧州戦車」計画は、3国独自の道を選ぶ事となりました。
シリーズ1試作車両は1961年に完成し、グループAの採用が決定。シリーズ2試作車両とシリーズ3試験量産型の開発が1962年始まりました。「レオパルド」という名称はこの時期に決められています。
写真上はシリーズ2グループA試作車両、量産型とはかなり形状の異なる砲塔で、パンテルを思わせます。

レオパルド1の量産は1965年9月からクラウツ・マッファイ社ににょって開始され、ドイツ陸軍の主力となりました。またセールス面でも成功を収め、オーストリア(90)、ベルギー(334)、カナダ(114)、デンマーク(120)、ギリシャ(106),イタリア(920)、オランダ(468)、ノルウェイ(78)、トルコ(77)と多くが輸出されています。

最初は単純な鋳造砲塔でしたが(レオパルド1〜レオパルド1A1)、当初の防御を軽視した設計方針では問題があったのか砲塔側面に増加装甲をボルト止めを行いました(A1A2以降)。三番目の写真がそうですが、このような装甲の追加は第二次世界大戦の増加装甲の発想が元になっているのでしょう。

その後砲塔の根本的な設計変更が行われ、中空装甲(スペースドアーマー)砲塔となり、この画期的な防御方法は現代の複合装甲につながる事となります。


MBT70(KPz70)
アメリカとドイツが、それぞれM60とレオパルド1の後継戦車を共同開発することになって試作された車両です。
レオパルド1の時と同じく共同開発はご破算となり、それぞれエイブラムスとレオパルド2を開発する事になって「幻の」戦車となりますが、一部では有名で、まさかと言うかやっぱりと言うか、ムンスターにありました。

実験車両04(GTV04
何と言うか、ドイツのマッドサイエンス的な傾向の「華」のような車両です。
低姿勢の車両に大口径砲2門、個人的には「ガンタンク」と呼んでいます(笑)。隣にSタンクが置いてあるのが何とも意味深で、これが量産されていたらさぞかし楽しかったでしょう。
この車両は1972年から73年にかけて、MaK社との高機動実験車両2両(VT1-1、VT1-2)開発契約によって試作されました。
MBT70の車体を短く(転輪1減)し、VT1-1は90mmライフル砲2門、VT1-2は120mm滑空砲2門を搭載しました。どちらも車体前部に車長、砲手、操縦手の定員3名となっており、車長、砲手とも射撃が行えます。主砲は上下動のみ可能で、左右の照準はスウェーデンのSタンクのように車体の方向転換が必要となります。

レオパルド2 プロトタイプ14
戦車マニアの中でも人気の高いレオパルド2、現用車両はありませんでしたが、珍しい試作型が展示されていました。全然異なる外見には驚かされました。
この車両は1972年から74年まで、16両作成されたプロトタイプのうちの一両で、プロトタイプのうち10両は105mm滑空砲を搭載しましたが、これは120mm砲を搭載したタイプとなります。



水陸両用偵察車両ルクス プロトタイプ
第二次世界大戦のドイツ(8輪)偵察車両直系の子孫です。ガイドブックにもそう書いてありました(おぉ!)。
この車両は1964年に統合計画室(Joint Product Office)に計画要求が出されて製造されたプロトタイプですが、実際にはダイムラーベンツの試作車両が採用され、1975生産が開始されました。
細かい点に差異はあるものの、生産型とほとんど同じ形状をしています。

空挺武器運搬車ヴィーゼル1 プロトタイプ06
輸送機やヘリコプターで輸送可能な戦闘車両として開発された軽装甲車です。
この車両は1976年に製作されたプロトタイプで、武装がありません。生産型ではTOWミサイルか20mm機関砲を搭載しています。

歩兵戦闘車マルダー プロトタイプ3
HS30の後継として開発されたIFV、この車両は1971年(?)に作成されたプロトタイプ3です。
マルダーは2136両製造され、現在でも活躍中です。バリエーションの中にはローランド対空ミサイルを搭載したタイプなどがあります。

歩兵戦闘車マルダー2 実験車両
マルダーの後継として開発されたIFVで、この車両は野外走行実験用として製造されたものです。ほぼ生産が決まった段階で1990年の東西ドイツ統合があり、おそらく軍事的必要性の低下、東西ドイツ統合による財政難によってキャンセルされてしまいました。



ここからは外国製の車両になります

M41軽戦車「ウォーカーブルドック」(手前)
M47中戦車
「パットン」(奥)
創設当初の西ドイツ国防軍の中核となった戦車です。
M41は偵察用として朝鮮戦争でやられ役だったチャーフィーの後継として朝鮮半島に送られ、戦死(事故死)した将軍の名前が付けられました。
M47は朝鮮戦争が発生後M46中戦車の改良型として開発が急がれ、すぐに大量生産されましたが、朝鮮戦争には間に合わず各国に供与されました。
手前の小型砲塔は、M48A2Cで、車長ハッチに取り付けられていた機関砲砲塔と同一のものと思うのですが…

M42自走対空砲「ダスター」
軽戦車M41「ウォーカーブルドック」に65口径40mm機関砲2門を搭載した対空戦車です。
開発されたのは1951年。496両が西ドイツ国防軍に配属され(1953年か?)、1979年にゲパルトと交代するまで配属されていたようです。

M44 155mm自走榴弾砲
軽戦車M41「ウォーカーブルドック」に155mm榴弾砲を搭載した自走砲。
オリジナルのM41の車体を逆向きに使っており、エンジンやトランスミッションが前方に配置される構造となっています。それに伴って足回りも改造され、転輪が5個から6個へと増えています。

M74 戦車回収車両
M4A3シャーマン改造の戦車回収車両です。どうやらM48とセットで配備されていたようです。
「西部新宿戦線異常なし」と書いて判る人いますかねぇ…

M48A2 主力戦車「パットン」
M47が急ぎ開発されたため、欠点を改良して作られたのが、このM48です。
写真の車両はM48A2で、中に自由に入れるようになっています。おかげで子供達の人気者になっていました。個人的にも堪能したりして…
ムンスターには他にM48A2Cが室内展示されていました。

M48A2 架橋戦車
M48の車体を利用した工兵部隊車両です。現在ではレオパルド1を改造した架橋戦車に置き換わっているそうです。

M60A1主力戦車 「スーパーパットン」
1960年から87年まで、15000両以上生産されたベストセラー戦車です。基本的にはM48の改良型になります。
この車両は評価試験のために購入された2両のうちの一両のようです。

M133 A1G 装甲兵員輸送車
80000両以上生産され、世界中で活躍した兵員輸送車。性能がそこそこでも、信頼性と安さと数で勝負するという、シャーマン以来のアメリカ万歳的な車両です。ドイツ国防軍も4000両以上使用しました。HS30とマルダーの中間的な位置付けとなるのでしょう。



M88 A1 戦車回収車ほか
M48の車体を利用した戦車回収車です。下の写真はどうやらドイツで独自に開発したプロトタイプのようです。
M88の方はドイツではすでに退役し、レオパルド1、2の車体を利用したものになっているようです。確か先のイラク戦争でフセインもどきの銅像を倒したのがこの車両だったような…

センチュリオン Mk12 主力戦車
第二次世界大戦にこそ間に合わなかったものの、戦後冷戦下で西側を代表する戦車の一つセンチュリオンです。
この車両は1987年10月19日に、ムンスターに駐留していた英第32機甲工兵連隊から寄贈されたものだそうです。

STRV 103C 主力戦車 (Sタンク)
いろんな意味でスウェーデンを代表する戦車、大戦略のおかげで「Sタンク」の名称が日本では定着しています。
この車両は、スウェーデンの旅団将軍(?)A.Sandquist氏より、ムンスターに譲渡されたものだそうです。





HSC江戸屋敷の部屋
兵器庫

ムンスターに行こう!へ戻る ムンスター戦車博物館8 旧東独へ進む
ムンスター戦車博物館1 WW1−戦間期へ戻る ムンスター戦車博物館9 その他へ進む
ムンスター戦車博物館2 WW2のドイツ戦車へ戻る
ムンスター戦車博物館3 WW2のドイツ自走砲へ戻る
ムンスター戦車博物館4 WW2のドイツ各車両へ戻る
ムンスター戦車博物館5 WW2のドイツその他へ戻る
ムンスター戦車博物館6 WW2の各国戦車へ戻る




HSC江戸屋敷TOPに戻る

Copyrighted Yoshihiro Sato 2003 all rights reserved