ムンスター戦車博物館3
第二次世界大戦のドイツ自走砲


ここでは自走砲・突撃砲など、固定砲塔車両のうちキャタピラ走行するものを扱います。
正式には自走砲と突撃砲そして駆逐戦車は異なるものとは承知してますが…

自走榴弾砲「フンメル」(SdKfz165)
「フンメル」は最初の100両が1943年5月、同年の夏季攻勢(ツィタデル作戦の事らしい)のために製造されました(案内板の製造期間は1942〜45)。四号戦車の車体に30口径150mm榴弾砲を搭載しています。

この車両は西部戦線で44年か45年にアメリカ軍によって捕獲されたもので、1976年6月に戦車兵学校に返還され、レストアされたそうです。


突撃砲「ブルムベア」(SdKfz166)
突撃砲とは歩兵の直接支援砲車両の事です。念のため。
「ブルムベア」は短砲身の12口径150mm歩兵砲を四号戦車の車体に搭載したもので、前面装甲は100mmと「フンメル」の20mmどころか四号よりも厚い装甲を持ったごつい車両です。
この車両は当時のゴム不足から、転輪が鋼鉄製になっています。

1993年8月21日、フランス機甲学校から戦車博物館およびムンスターの町に譲られ、ドレスデン陸軍博物館によってレストアされたそうです。






三号突撃砲G型40式(SdKfz142/1)

最初は直接歩兵支援用としてトーチカ撃破等に用いられてきた突撃砲ですが、対戦車戦闘にも有効と判明し、次第に戦車の代わりとして対戦車戦闘用いられます。一番影響の大きかったのが、この三号突撃砲で、初期の短砲身からはじまって、このG型になると48口径75mm砲を搭載するようになります。

写真の2両は共にG型との解説がありましたが、G型とG型後期型の特徴が混在しています。左側の車体には「ザウコプ(豚の頭)」という鋳鉄製の砲盾が装備されています(中写真)。模型の時はイマイチでしたが実物を見るとなんとなく納得。

ザウコプ装備の車両は1945年にアメリカ軍に捕獲され、米本国に輸送されました。アバディーン、フォートノックス、パットン機甲博物館を渡り歩いた後、1979年9月に返還されたものです。
箱型カバーの車両(下写真)はフィンランド軍に供与され、何かと交換でフィンランド機甲博物館から入手したようです。

ガイドブックの写真は何故か四号駆逐戦車でした(^_^;)




四号駆逐戦車 プロトタイプ?
駆逐戦車は、突撃砲と違って対戦車戦に特化した対戦車車両です。本当は「戦車駆逐車」と訳すべきなのですが、「駆逐戦車」の方が一般的です。

この車両はムンスター戦車博物館入口脇に誇らしげに展示してありました。側面には「Schulungs-Fahrzeug」とマーキングされています。

最初は四号駆逐戦車F型と思ったのですが、車体左側のピストルポート覆い(円錐形カバー)や、乗員は3名で機銃を2丁装備したという案内など、不思議な点が多い車体です。
案内板には「JagdpanzerW “Panzerjager39” Versuchssreie(Fahrgestell-Nr.V2) とあり、案内板を拙いドイツ語能力から判読すると、どうやら3両作られた試作車両のうちの一両ようです。
戦車嚮導師団に所属してフランスにて捕獲、下の写真はノルマンディー付近のスクラップ場での写真と思われます。おそらくこの車両なのでしょう。


四号駆逐戦車F型(SdKfz162)
四号戦車の車体にパンテルと同じ70口径75mm砲を搭載した駆逐戦車「ロング」を開発したものの、砲の不足から四号戦車と同じ48口径75mm砲を搭載したタイプ。
写真が上下縮んでいるように見えるかもしれませんが、これが正しい比率です。

この車両はコブレンツ国防技術博物館から貸し出されたもので、自走可能らしいです。



38式駆逐戦車「ヘッツァー」
世界大戦序盤に活躍したチェコ製38t(38式)戦車の車体に48口径75mm砲を搭載して、薄い装甲板で囲った対戦車車両。
ほぼ完品で自走できます(下のオイルパンに注目)

1946年スイス陸軍に購入された158両のうちの一両で、G13と呼ばれていたそうです。G13は1970年に退役し、71年に機甲学校に寄贈、82年に自走状態にレストアされたそうです。




重駆逐戦車「ヤクトパンテル」(SdKfz173)
パンテルの車体に、対戦車砲の傑作71口径88mm砲を搭載した重駆逐戦車。性能と言い、容姿といい、戦車ファンにはたまらない車両です。
「ロンメル」の名称を知っているのは、タミヤ世代か、大戦略エクスパンションをやった事のある人です(笑)

このヤクトパンテルは、乗務員用の送風口付きヒーター、新型排気ガス口等が装備され、動輪も変更されているようです。(横と後の写真を撮影していなかった…)


この車両は1945年3月ハノーバーの「M.N.H」にて製造されました。どの部隊に配属されたかは不明らしいですが、西部戦線に配備され、1945年4月にイギリス軍に捕獲されました。
前面に多数の被弾跡がありますが、これは英軍によって試験を受けたようで、ケースの中には、どの弾丸がどの角度で命中し、はね返したかの図解がありました。
1961年7月に戦車兵学校に寄贈されたそうで、どうやら自走可能らしく、車体の下にはオイルパンが多数置いてあります。

ちなみに上写真の右側に写っているのは、英軍ダムバスター爆弾の実物大模型です。かなり大きいものなのですが、ヤクトパンテルと比べると小さいですね。




シュトルムティーゲルE型
前面装甲150mm、側面装甲80mmの無骨なボディに、5.4口径380mmロケット砲を搭載したインパクトのある車両です。
砲口の小さな穴は、ロケット噴射ガス抜きだそうですが、発車シーンはさぞかし派手だったでしょう。ロケット弾も迫力満点です。

解説板には製造数18両と書いてありましたが、あるところにはあるものですねぇ。
この車両の履歴については一切記載されておらず詳細は不明ですが、一緒に展示されている写真に米兵が写っているので、アメリカ軍に捕獲されたものかもしれません。








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