『怪盗ニック登場』
 
 
 エドワード・D・ホック
  (ハヤカワ文庫)
 
 1975
 ミステリ
 
 
【泥棒の探偵】
 
 短編の名手、というよりは、泰斗、碩学、専門家、第一人者、いずれの呼び方を選んでみてもまだ足りない。それが、エドワード・D・ホックという類い稀な作家についての印象。とにかくこの人、ただ者ではない。
 創元推理文庫から《サム・ホーソーン・シリーズ》が出版されて、まとまった数のシリーズもの短編を堪能できるようになり、ここにきて、ようやく怪盗ニック・ヴェルベットの活躍が、文庫で三冊も楽しめるようになった。
 どちらのシリーズも、翻訳はお馴染の木村二郎氏(一冊目である本書は小鷹信光篇、木村二郎・他訳となっている)。大量のホック作品を、いかにさばいてくれるのか、仕事ぶりがとても楽しみな翻訳者して注目している。
 ハヤカワ文庫の三作品、『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』は、年代ごとに変化していく作中の人間関係などについても配慮した構成となっているけれども、まだまだ翻訳されていない作品は大量にある。
 ホックは、ヴェルベットものを初期には年に三作品、九〇年代に入ってからは二作品、後半に差しかかってからは一作品のペースで発表しているというから、未だに増え続けているわけだ。二〇〇三年八月の時点で、ヴェルベットものは八一作に及ぶ。
 木村二郎ことジロリンタン氏には、他のシリーズも含めて、頑張ってもらわなくては。
 
 本書に登場するニック・ヴェルベットの職業は、怪盗というよりは泥棒と言ったほうがしっくりくるかもしれない。アルセーヌ・リュパンのような、華やかなりしパリを舞台に、美術品などを狙うのでもなければ、シャーロック・ホームズによく似た名前の名探偵としのぎを削るわけでもないからだ。
 ニックの舞台は、1970年代のアメリカ。彼が狙うのは、金銭的に価値のないと認められた物ばかり。怪しいものを盗むから怪盗と言えそうなものだけれども、やっぱり泥棒というほうがしっくりくるのは、現代的だからだろうか。怪盗という言葉は、残念ながら現代という時代のほうがそぐわなくなっているような気がする。
 泥棒ニックが狙う価値のない物たち、その内訳は、虎、ある部屋の中にあるもの(この部屋は空だった)、大リーグのチーム一式、企業の看板、といった数々。虎は希少動物なので価値がありそうなものだが、貴金属のように換金できるわけでもなく、大リーグのチームが買収されるとなれば大金が動くが、そんな話が盗品としてまとまるわけもない。だから、一般の人にとっては価値がない、となる。
 彼の仕事は、年に四〜五回こなされる。一回の料金は、最低でも二万ドル。特別料金は三万ドルと指定されている。一度の仕事は一週間ほどで済ませるというから、随分と割のいい仕事だ。
 価値のないものばかりとはいえ、ニックは泥棒。その職業から喰えない人物であることはわかるが、さらに彼を掴み所のない人物として、あるいは貫井徳郎氏に「ニック大好き」と慟哭させる人物としているのは、ニックという泥棒が探偵の仕事をも兼ねているところにある。彼に高い仕事量を払って、つまらないものを盗ませている依頼人たちは、どうして品物を指定しているのかという理由を語りたがらない。そこでニックは、自らの身を護るためにも、そちらの謎も解明しなくてはならない。
 どうして、依頼人は価値のない品物を盗み出そうとしているのか?
 品物を盗み出す方法を考えながら、その裏に隠された事件や真実を探り出す、ニックの活躍は常に彼が勝つというお約束が履行されながらも、意外なラストが待受けていることも少なくなく、安心しながらもはらはらできる。
 また、ニックは必ずと言っていいほど、一つに事件で一人の女性とお近づきになっている。ちょっとセクシーな若い女性が決まって出てくるのだが、これは読者に男性が多いからなんだろうか。アメリカでミステリといえば、長編のコージー・ミステリが隆盛を誇っていると想像してしまうが、それは女性向けに書かれていると思われる(男性が読んでも、もちろん面白いけども)。その一方で、EQMMのような専門誌は、脳の機能としてコレクションが大好きな男性が、多く購読している可能性が高い。
 たくさん女性が出てくるからといって、すぐに寝てしまうのかといえば、そうでもないのがニックのいいところ。ちゃんと恋人がいて、彼女との関係もシリーズが進むにつれて変化していく。
 泥棒なんだけどいい人で、腕は素晴らしく立つ。
 そんな魅力的なニック・ヴェルベットの仕事ぶりは、素晴らしく楽しい。堪能していただきたい。
 
 
『斑の虎』
 恋人の家でのんびりと過ごしていたニックの元に仕事の依頼が届く。動物園から、模様が斑で希少な虎を盗み出して欲しいというのだ。土地買収の仕事が入ったと恋人に伝え、焦ることなく仕事を進めるニックだが、この依頼には裏があった。
 仕事を終えると、再び家に戻るところに、ニック譚の日常的な感覚が象徴されている。現代の話なのだ。
 
『真鍮の文字』
 ビル壁面に金属製の文字がある、それを盗んで欲しい。社名を表示する文字を三つ指定され、盗み出すニック。彼は、奇妙な依頼にまったく驚きもしない。どうして、その三文字なのか? という謎の解明が見事な作品。頭のいい、正直な、つまりはやっかいな警官というウェストンが登場する。
 
『大リーグ盗難事件』
 野球好きの独裁者が、自国の代表チームと大リーグ球団との対戦を希望している。大臣からチームを一つまるごと盗み出すように依頼されたニックは、特別料金の三万ドルで仕事を引き受ける。野球の試合に仕込まれた陰謀に気付いたニックの活躍ぶりが見物。盗み出されたのにやる気満々の監督がコミカルで可笑しい。
 
『カレンダー盗難事件』
 刑務所の監獄から、囚人の持っているカレンダーを盗みだして欲しい。そのカレンダーとは、囚人を弁護した事務所が配っている何気ないもの。弁護に失敗したから、囚人となった人間が使っているとなると、シニカルな設定だ。本作のように突発的な出来事が起こるのも、面白さの一つ。
 
『青い回転木馬』
 メリーゴーランドから、指定された青い木馬だけを盗み出す。中は空洞となっていて、トロイの木馬になぞらえたものらしいのだが……。どうして盗ませたのか? 動機の問題が素晴らしい出来の良作。
 
『恐竜の尾』
 自然史博物館で完全な形で展示されているティラノサウルスの骨格から、尾の部分だけを盗み出す。『斑の虎』事件のような展開を警戒するニックだが、真相は違っていた。どうして盗んだのか? というホワイダニットの要素が顕著。
 
『陪審員を盗め』
 ウェストンと再会したニックは、十二人の陪審員と一人の補欠をまとめて盗み出してしまう。ある事件の真相に気がついたニックに、危機が訪れる。機知によって命の危機から脱する活躍ぶりがスリリング。
 
『革張りの棺』
 テキサスの地主が特別に作らせたという青銅に革を張った棺を盗み出すことが、今回の仕事。死体が入ったまま、別のグループに先を越されたニックは、事件が大麻を生産している土地の権利が絡む、複雑なものであると気付く。
 
『くもったフィルム』
 俳優が、スタッフのミスで光が入ってくもってしまったフィルムを、廃棄されてしまう前に盗み出して欲しいと依頼する。
 本編では、ユニークな泥棒探偵ニック、と書かれている。まさか、ただの泥棒ではなく探偵もしていると、作者のホックがこの段において気がついたはずはないだろう。しかし、なるほど、泥棒探偵とは言い得て妙だとも思える。
 またまたウェストンと再会したニックは、探偵らしく、依頼とは別の盗難事件に巻き込まれ、真相を突き止めなくてはならない羽目に。
 推理の手掛かりがとてもユニーク。
 
『カッコウ時計』
 監視体制の厳しいカジノの事務所へ忍び込み、そこからカッコウ時計を盗みだして欲しい。価値のあるものではにかと尋ねたニックに、依頼人は持ち主が市から表彰された際に受け取った、プラスチック製の時計であると答える。
 プラスチック製のカッコウ時計が、過去の殺人事件と結びつく、ニックの探偵らしさが際立って高い作品。
 
『将軍の機密文書』
 ウォーターゲート事件から二年後、ジャーナリストの依頼で政府で要職に就く将軍の自宅から、毎朝廃棄されるゴミに含まれている手紙を盗み出して欲しいと依頼されたニックの、慌ただしく繰り返される早朝の仕事。
 大事件と報道の関係を背後に、ニックは珍しく報酬の全額を受けそこなっている。
 最後のオチが、今後の発展や変化を予兆しているけども、ほのぼのと微笑ましい。喰えない――もちろん褒めている――ニックの活躍を収録した、この短編集の末尾を飾るに相応しい作品。
 
 
 

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