『墓場貸します』
カーター・ディクスン
(ハヤカワ文庫)
1949年
本格ミステリ
【H・M卿のホームラン】
積極的な慈善事業への取り組みで知られる実業家フレデリック・マニング。彼は芸術を振興するために、金のない学生への援助を行っている。そんな彼が、はるばるイギリスからアメリカへと、友人に言付けられた手紙を届けるためにやってきたヘンリ・メリヴェール卿を我が家へと招待したのには、理由があった。そして、一筋縄では行かないメリヴェールが、彼の招待を受けたことにもまた、理由があった。大西洋を往く船上で、名探偵が受け取ったのは「奇跡をお目にかける」という挑戦状だったのである。
そんな折り、マニングに財団の金を10万ドル横領しているという疑惑が持ち上がり、さらには、愛人を囲っているという噂が囁かれる。三人の子どもたちは、疑心暗鬼にかられ、何か恐ろしいことが起こると予感していた。マニングの言う奇跡とは、横領犯として捕まることなく、愛人とともに逃亡してしまうということなのか?
そして時がやってきた。マニングは自らが発した「奇跡をお目にかける」の言葉通り、メリヴェールたちが見守る中、プールに飛び込むなり二度と浮かび上がることなく、忽然と身体を消失させてしまったのだ。
快刀乱麻の推理を見せる名探偵、ヘンリ・メリヴェール卿の見いだした真相とは?
密室の大家カーター・ディクスンこと、ジョン・ディクスン・カーによって、衆人環視のプールから人が消え去るという、密室的状況の不可解な事件が語られている本書は、クレイトン・ロースンに捧げられている。
ロースンは、『天井の足跡』(国書刊行会)などで知られるミステリ作家であり、カーと並ぶ密室の泰斗として知られている。さらに彼は、商業美術家であり、奇術の研究家でもあったというから、なんとなく泡坂妻夫を連想してしまうミステリファンは、僕だけではないだろう。
読み終わってからの感想で、できるならば献辞を目にしていた時点で考えておきたかったことなのだけれど、この作品がクレイトン・ロースンに捧げられていることは、それだけで十分に意味がある。読者を幻惑する不可能な出来事を成す、巨匠一流の術数の性質が垣間見えているからだ。
メリヴェールという探偵は、まさに名探偵という鬼謀の持ち主である。エキセントリックな性格を無視したとしても、作中の人物にとっても、読者にとっても、十分に腹立たしいところがある。
それは、読者と同じ情報を得ているにも関わらず、常に彼が真相に近いところにあること。本書では、珍しく苦闘しているメリヴェールだが、それでも真相の半分を事件現場で察知しており、あの半分を容易に手にして見せると豪語している。もちろん、ページ数が残り少なくなるころ、彼の言葉はまさにその通りになっている。
彼が早い段階で真相の大半を掴んでしまい、それを隠しながら捜査を進めていくことによって、読者は意外な真相への期待を高めつつ、これまでに提示された情報から彼が何を得ているのか? という推理と論理への興味も同時に高めていくこととなる。
このような興奮状態を持続させた上で、カーター・ディクスンが本書でやってくれたことは、まさにファース(笑劇)といっていいような光景を描写することだった。まずは、プールからいつまでたっても上がってこない実業家の存在は、それだけでナンセンスだ。太った身体を信じられないようなストライプの水着で包んだメリヴェール卿の姿は、ジャック・タチのユロ氏を凶暴にしたような感じだろうか。そして、物語の中盤にものすごい冗談が待っている。
このコメディは、スポーツを題材にしたものであり、舞台はアメリカ。これだけでもカーにしては珍しい条件が揃っているのに、なんとメリヴェールがバットを握って、大リーガーの速球を完璧に芯で捉え、ホームランにしてしまうのである。
謎の残り半分を解くのに珍しく苦戦しているメリヴェール卿が、ストレスを解消してしまっているように、見えないこともない。それだけ、彼を悩ませていた《どうして?》という動機の問題が奇想による産物であったということ、そして、プールでの人間消失の問題と合わせて、本書の謎がどれだけの難問であったのか、『墓場貸します』にも注目しながら、実際に手に取って確認してもらいたい。
(2004年2月現在、この本は品切れのようです)