『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』
 
 
 マイケル・ディブディン
  (河出文庫)
 
 1978
 ホームズパロディ、歴史、スリラー
 
 
【虚と実、二つの人生を扱った歴史ミステリ】
 
 河出文庫《シャーロック・ホームズ文庫》の新刊。パロディもしくはバカミスとして名高い、L・D・エスルマンの『シャーロック・ホームズ対ドラキュラ』や、V・スタリットの『シャーロック・ホームズの私生活』などに続き、ラインナップに加わった通算で八冊目のホームズ本である。
 本書の原題は『ホームズ最後の事件』、あるいは、『最後のホームズ物語』(The Last Sherlock Holmes Story)で、邦題は本編を読む前に十分に想定できる二つのテーマのうち、センセーショナルな史実である切り裂きジャックに興趣ありと見たのか、《最後》は使われていない。
 もっとも、ある程度の知識を有するシャーロキアンにとっては、《最後》という言葉から、ある真相にやすやすと辿り着いてしまうだろうし、以前から本書がホームジアンたちの物議を醸したことは知られているので、初めてパロディを読むという人にとっての配慮なのかもしれない。それにしても、初めて本書でホームズのパロディに触れた人は、いったいどんな気分になるのだろう。心配でもあるし、悪戯っぽい好奇心が湧いてくる。そんな作品なのだ。
 
 ディブディンは、輝かしい経歴を持つ英国のミステリ作家で、ホームズのパロディである本書でデビューを飾っている。後に、イタリアに滞在した経験を活かして、イタリア内務省刑事警察のゼン警視を主人公とするシリーズで、CWA賞(イギリス推理作家協会賞)を受賞するなど、原題のイギリスミステリ界を代表する作家の一人……なのだが、日本ではそれほど知られていない。
 その理由として、ディブディンの評価がまちまちであることが考えられる。「彼の作風は、犯罪小説、本格ミステリ、サイコ・サスペンスなど幅広い分野の作品がある」と紹介される一方で、「ややもすると、ミステリーという狭いカテゴリーからはみ出してしまう才能が魅力でもあり、また一方で読者を選ぶ原因にもなっている(『海外ミステリー辞典』)」と評されることもある。おそらく、これがミステリなのか? といった印象を抱かせるのだろう。
 デビュー作である『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』を読めば、なるほど、ミステリーからはみ出してしまう才能なるものが理解できるけども、内容については後述するとして、ディブディンのイメージを掴むために、一つの指標を示したいと思う。
 それは、ジュリアン・シモンズがディブディンを評価している、ということ。シャーロキアンにとってシモンズといえば、ホームズパロディを書いている作家の一人だが、ミステリファンにとっては、作家としてよりも評論家として彼の名前を目にする機会が多いかもしれない。それも、シニカルで思わず疑問符をつけたくなるような評価の主として。
 これは、まったくの偏見かもしれないが、シモンズという人、そうとうにシニカルで、意地が悪いのではないかと筆者は信じている。彼が書いた作品や評のいくつか読んでの感想だが、馬鹿げていないと評価しないぞ、といった気概を感じてしまう。へそ曲がりが気に入っている、バラエティ豊かな作家がディブディンなのだ。
 作家は処女作を書くために作家になるという定説を信じるならば、本作こそディブディンの特徴、そして真価が発揮されていることになる。ホームズのパロディであり、切り裂くジャックをテーマとしたものであり、さらには「読者に対してこんな結末が許されるのだろうか?」と評される作品なのだから、ジュリアン・シモンズが気に入らないわけがない。
 その証拠に、訳者の日暮雅通氏によるあとがきによれば、ホームズ研究家や批評家たちから、激烈な反応を引き起こしたとある。それがどのような反応であったのか、先にい述べた通り、ホームズのパロディや研究に触れてきた人間には、残りの可能性――シャーロキアンにとっては、隠されていた真実となる――が想像できるため、多くのホームズ信奉者がいかに怒り、笑ったのかが手に取るようにわかる。シモンズはきっと喜んでいたのだろう。
 
 本編に入るなり、人を喰った展開が読者を待受けている。さすがは、シモンズ……人が悪いと思ってしまったが、書いているのはディブディンだ。ディブディンが何をしでかしてくれたのか、いきなりジョン・ハーバート・ワトスン医師が、自宅で転倒したことが原因で亡くなる。ちなみ、ジョン・H・ワトスン医師のミドルネームが、ハーバートであったかどうかは明らかとなっていない。ハーミッシュであったという説もある。
 年老いたワトスンが亡くなったという展開から、この小説が強烈なユーモアによるパロディであることが伝わってくる。続いて登場するのは、件のブリキ箱であり、一章に入るとA・D・Cなる人物が現れる。これらは、これまでのパロディのパターンをある程度、踏襲している。
 また、既存のパロディを踏襲するだけではなく、ディブディンは聖典をよく研究して本書を書いたことが、小物やエピソードなどの引用が正確かつ適度であることからわかる。研究書の数冊から単純にコピーしたものとは思わせない魅力があるのは、パロディとしてバランスがとれていて、やり過ぎていないからだろう。これには、シャーロキアンとしても好感が持てた。
 ワトスン、ホームズ、レストレードといったお馴染のキャラクターは、やや誇張された性格はあるものの、逸脱した肥大はなく、そのシルエットはシンプルなまま残されている。それは、映像化作品のものではなく、あくまで聖典のものとの印象を受けた。
 ホームズがワトスンの行動を当てる推理を披露する場面もある。これがなかなかの出来栄えで、その結末も面白い。ホームズ史における空白を埋める野心的なエピソードであるし、また、ホームズとワトスンの関係性をパロディに仕立て上げながら、ワトスンの結婚生活を揶揄している。ワトスンの天然ぶりを描きつつ、ホームズの論理(本当の論理性を持つのかは別にして)もよく書けている。やはり、作家が書いた小説であり、研究者が書いたものとは、少しレベルが違っている。
 パロディではあるが、シャーロック・ホームズが恰好良い。そして、狂気じみてもいる。そのバランスが、これもまた絶妙で、ディブディンの上手さを感じさせるところ。もちろんオチは想像しているわけだけども、ホームズのヒーローぶりは、彼の推理や情熱を描くことできちんと成り立っている。
 前半部分では、小物やエピソードが続くのに、中盤から後半にかけては、ホームズ譚からの引用は影を潜めることも、本書の特徴だろう。ホームズのヒーローぶりが描かれながらも、内省するワトスンの心情へとシフトしていくことで、作品世界に漂っている不吉な空気が陰鬱さを増していく。語り手であるワトスンのキャラクターは、作品の構成上、欠かせないという必然性もあって、非常に良く描けている。ホームズと暮らす同居人を《芸術的》と評する自虐的なユーモアは可笑しかった。
 コメディとしての部分に、イギリス人の作家らしく、上手くフランス人を使っている箇所があるが、この小説ただ単にふざけた物語ではない。ワトスンの回想録として読むと、思いの深さがいいわけで、人間が何かを信じるときに見せる、心の強さについて感じさせるものがある。そして、作品は後半にさしかかるとスリラーの様相を呈してくるのだ。
 
 ミステリとしては、切り裂きジャックの行動に、一連の論理性を見いだし、その犯人像を推理するアクロバティックな飛躍の過程がなかなか見事で、犯人と被害者の行動に論理性を持たせてあることから、本格ミステリの要件をクリアした箇所と捉えることができる。ある程度まで読み進めていると、本書が犯人捜しのミステリであることを予感させるのだが……結末は読んでのお楽しみというより他ない。一言だけ述べておくと、この小説は犯人が明らかとなってからが怖い。
 ディブディンが後にイギリスミステリ界を代表するとまでいわれる、優れた作家であることも忘れてはいけない。ホームズのパロディには、一つのアイデア、多くの知識にこだわることによって、類書からのコピー&ペーストと寸足らずの文章によって書かれた本が少なくない。邦訳される作品は優れたものが多いだろうに、このような印象があるのだから、やはり研究家は小説家ではないという結論に行き着いてしまう。
 
 この作品は、ある程度の知識を持ったシャーロキアンが読むことで、いちばん楽しめる小説なのではないかと思う。その理由は、最も恐怖を感じることができるから。ホームズ信奉者には、ぜひとも面白がって読んでもらいたい。
 
 そして最大限に評価したいのは、この作品が、切り裂きジャックという史実を元に、さらに、真実として研究されているホームズ物語を元にした、歴史ミステリの面白さを持っていること。実在の人物であると混同されることもある、世界も最も高名な想像上の人物であるシャーロック・ホームズと、未だに正体の知れない切り裂きジャックという実在の犯罪者、虚と実の歴史をディブディンは混交させて、二人の有名な人物が残した多くの謎に答えを用意してしまった。
 
 論理によって構築された虚と実、二つの歴史。喰えない作家のデビュー作を楽しめるかどうかで、読者としての人の悪さがわかる……そんな作品なのではないだろうか。
 
 
 

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