『眠れるスフィンクス』
ジョン・ディクスン・カー
1949
本格ミステリ
【ロマンティスト】
戦後の混乱によって十五ヶ月前に死亡したことになっていたドナルド・ホールデンは、長い勤務から開放されてロンドンに帰ってきていた。二人の兄を戦争を失った彼は、爵位を継ぐことになっていた。身を案じる友人となった元上司からけしかけられたホールデンは、自分の無事を知らせるべく、懐しい日々を過ごした友人へ電話をかけるのだが、繋がらない。仕方なく、電報を送った彼は、その到着を見計らって家を訪ねるのだが、そこにあったのは、奇妙な断絶と年月が作りだした溝だった。
永年ホールデンが思っていた女性シーリアは無事だったが、彼の姉と結婚した親友マーシュはホールデンからシーリアを遠ざけようとしている。憤ったホールデンは、マーシュを問い詰めるが、返ってきた応えは思いもよらないものだった。シーリアの姉であり、マーシュの妻であったマーゴットは突然に病死してしまった。人が変わったように疲れているマーシュは、さらに衝撃的な告白をする。シーリアは精神障害を起こしてしまった、だから、ホールデンに会わせることはできない。
しかし、ホールデンは、思い掛けない形でシーリアと再会する。そして、彼女の口から、姉マーゴットの死について意外な真相を聞かされる。マーゴットは、マーシュによって暴力をふるわれていた、そして自殺したのだと。ホールデンは、シーリアの言葉を信じたいのだが、シーリアの狂気を目にして、友人との言葉とシーリアへの愛情の狭間に揺れ動く。やがて、シーリアの言葉から、マーゴットが自殺したのではなく、殺されたのではないかと考えたホールデンは、シーリアの言葉を信じて、事件の真相を追う。
一九四九年という、戦後間もない時期に発表された作品で、当時の異常でありながらも、静寂を取り戻しつつある英国の様子を伝える、帰還した英雄の平凡な会話から物語は始まる。陸軍省のでの上司との会話がそれで、次には友人との再会、想い人との相愛という僥倖と続くのだが、疲れた元諜報員が戻るには、想い出の人たちが過ごす現実は厳しいものだった。
そして、ホールデンは虚と実の間を、強い愛情ゆえの苦しみに苛まれながら、振り子のごとく揺れ動くことになる。彼が、妄想と現実の狭間に放り込まれるシーンが、シーリアと再会した直後、姉の病死を看取ったという医師を加えた三人の大人が、古びた公園に座り込んで交わす会話の光景である。
月明かりの下で、子どものいない公園に大人がばかりがいる。そこでシーリアは、「砂と、錠と、眠れるスフィンクス」という意味不明な言葉を口にして、さらには自分が幽霊を見たのだと主張する。
ホールデンは、シーリアが正しいことを言っているのだと信じようとする。だが、彼の希望を裏切るように、シーリアは自分が精神障害であると思われていると認め、医師はシーリアに落ちつくように言うのだった。
昼間の子どもがいるべき場所なのに、夜中の大人が遊ぶ公園というシニカルなユーモアは、ホールデンの不安も、ファンの興味をも掻き立てる、カー一流の怪奇趣味が横溢するシーンとなっている。この不安定な場所こそが、ホールデンを妄想と現実がないまぜとなった日常に引き込む入り口であり、重大な決断を迫られる分かれ道ともなっているからだ。
第一に、シーリアの狂気が本当なのか? ということ。これは、彼女を真実を言っているのか? また、心の障害があるのか? といった二重三重の謎を提出するものであり、ホールデンの不安がいっそう掻き立てられる。
第二に、シーリアが公園でホールデンに語って聞かせた、マーゴットが死んだ晩に行われていた殺人ゲームの趣向がある。ここで、シーリアは姉の服装について気がついたことを述べるのだが、他の人間は否定している。その晩、殺人ゲーム――日本の本格ミステリファンにとっては、マーダー・ゲームのほうが馴染み深いかもしれない――が、死刑囚が処刑された際に直接にとった型から作ったという精巧なマスクをかぶって行われていた。酷くふざけた趣味の悪い遊びだが、カーが書けばユーモアとなってしまう。
公園のシーンが終わり、ホールデンが確信めいた真実――シーリアを信じること、そして、マーゴットが殺害されたということ――を追及する決心したものの、大いに悩んでいた頃、これまでにも二度三度と名前が挙がっていたフェル博士が、ようやく登場する。
おそらく、多くの読者がホールデンのシーリアを信じたい気持ちに同調しているところへ、フェルはマーゴットが殺害されたとの見通しを発表する。さらに、姉が死んだ晩に殺人ゲームに参加していた七人のうちに犯人がいるのだと断言する。
例によって、登場した時点ですでに多くの事実を知っている様子のフェル博士に、ホールデンはさらに悩まされることになる。フェル博士は、ホールデンが知っているべきことを知っているだけでなく、これから提出される謎についても、すでにその存在を知っているというのだ。
シーリアの見た亡霊たちが、血と肉を持っていたという確認、そして奇妙なことにフェル博士とシーリアによって、二年も前に封印されていたという納骨堂が開封され、謎はさらに深まってしまう。
逆説めいた言葉を口にするフェル博士に、ホールデンは立て続けに提出される逆説に辟易しているとの態度をとるが、博士は逆説なのではなく、真実であると述べる。そして、真相を掴むためには、ホールデンの協力が欠かせないと伝える。
愛ゆえの懊悩もあり、作品の視点でありながら、曇った眼差しの持ち主であり、また、諜報員として聰明な頭脳の持ち主でもあるホールデンというキャラクターが、フェル博士とぶつかることによって、その曇りを晴らされ、猟犬のごとく動くようになる。この時点で、ホールデンの迷いやシーリアへの愛情といった情動的な傾向がきれいに切除されて、論理的な解明への階段を確実に歩むことになる。
物語的な興味、物語る力とその上手さは、カーを語るうえで欠かすことの出来ない長所であり、また短所と見る向きもある特徴だろう。この作品では、ホールデンの不幸さと優秀さ、数年ぶりに生き返ったという数奇な運命と、さらなる奇妙な状況、そして愛する人との再会に、彼女が陥っている危機と、探偵としての行動と、一人の人間の身に大きな出来事が立て続けに起こる様を描いている。恋愛の要素も取り入れているが、上手く読者の気持ちを同調させるものであって、ミステリとして必要な要素となっている。
特に、愛する人が警察の容疑者となり、真犯人を見つけるために探偵とならなくてはならない、という展開に弱い読者は多いのではないか。このようなロマンティックな部分もまたカーの愛すべき特徴であり、カーを愛する読者もまた、同様の傾向が見られるものと推測できる。怪奇趣味、論理的な謎の解明といった冷たい趣向の中にも、熱い情熱が感じられるのがカーの作品であり、読み終わったときに無用な杞憂を残さぬのも素晴らしい点であるからだ。基本的にカーは優しく、だからこそ読者は安心して殺人ゲームを楽しめるのだろう。
犯人、探偵、被害者のいずれもの行動を司り、本格ミステリたるこの物語を進行させていく論理において、前提となる事実(もしくは、知識)に、非常にあやふやなものとの印象を受ける部分がある。当時の科学的な事実であり、現代にも通じる感覚なのかもしれないが、おそらく異なる部分も多々あるだろう。
しかし、作品の魅力を損なうような欠点とはなっていない。大時代的な考証と描写による前提であるとして受け入れればいいだけだ。
(2004年3月現在、ハヤカワの「読者アンコールフェア」により復刊中です)