歴史探訪『堺』(平成20年11月30日(日))
従来の歴史上の人物に焦点を当てるのではなく、堺という地域に焦点を当てた探訪とした。
現在は
古代の堺周辺の遺跡や出土品、墳墓の展示から、中世の「自由都市堺」の姿、近世から現代に至る、堺の歴史が分かり易く展示されている。
今回は特別に「博物館説明ボランティア」加地氏に、古代から中世までの堺の状況を簡潔に説明いただいた。古墳群が土地開発のために次々と破壊され、現在は当初の3分の1以下しか保存されていない。仁徳陵の出土品、須恵器と土師器出土、中世堺の地図による説明、等々、堺の歴史を探訪する基本的な知識を習得して出発した。
また、二次大戦時の大阪・堺大空襲の情景を描いた岸谷勢藏氏(岸谷会員の実父で郷土画家)の絵が展示されており、それを見ると当時の焼土化した堺が良く分かる。

中世堺の地図前に展示された仁徳陵出土品、須恵器と土師器出土類
仁徳天皇陵
社会科教科書で堺の「仁徳天皇陵」は世界最大との記述を誇らしく感じたものだが、近年の研究で、どうも仁徳天皇陵とすることが疑問視されるようになってきた。しかし、だから何方の御陵かという証拠もなく、現在は地名を冠して「大仙陵」が正式名称となっている。

「大仙陵」(元仁徳天皇陵)前で記念撮影
環濠跡
環濠は堺の歴史を語る上で欠かせない遺跡、その一部が現存し見ることが出来る。そのほとんどが高速道路建設時に側道の暗渠として道路下に隠されてしまった。
南宗寺
弘治3年(1557年)、大徳寺90世の大林宗套を開祖として創建された。創建当時は
自由都市「堺」の指導者達の集まり、会合衆が会合をもった寺で茶道の普及拠点でもあった。茶道は重要な情報交換の場であり、また自由都市「堺」の政治の場でもあった。
そして、意外なことに、ここに徳川家康の墓がある。その経緯は、今回の探訪では説明したが、御存じでない方には歴史探訪『堺』第二弾で改めて説明します。お楽しみに。

解説中の岸谷氏(↑)、名口調に聞き入る参加者諸兄(↓)

千利休屋敷跡
現存する利休屋敷跡は、秀吉の怒りをかって堺で蟄居を命じられた時の屋敷跡と伝えられている。実際はさらに大きな地所であったとのこと、開発が進んで現存のもののみが残っている。利休が使ったと伝えられる「椿井の井戸」はそのまま残っている。

現存の利休屋敷跡に残る「椿井の井戸」
利休が秀吉の怒りをかった理由は謎とされているが、後年、利休の弟子であった三井寺の本覚坊なる僧侶が日記風の文書を残しており、それを井上靖氏が「本覚坊遺文」として現代訳している。それによると、・・・。これも次回の探訪時のお楽しみに。
与謝野晶子生家跡
与謝野晶子の生家跡を示す碑文が、阪堺電気軌道の線路部分になっている旧駿河屋の場所にある。

彼女は、本名を「鳳 志よう(ほう しょう)」といい、駿河屋という和菓子屋の娘として生まれた。与謝野鉄幹(寛)に嫁ぎ、歌人、評論家として活躍した。岸谷勢藏氏の描いた「与謝野晶子生家の絵」は、この碑文にも使用され、彼女ゆかりの場所で使用されている。
岸谷家石室
中世末期の建築技術を駆使した石組みの石室を探訪した。岸谷家は代々「木綿問屋」を営んでいた。堺は昔から幾度となく大火に見舞われ、木造の家屋は被害甚大であった。そこで、絶対に焼失させてはならない物(例えば大名への貸金の証文)を格納していたと考えられる。先の大戦時の空襲にも焼け残った貴重な中世の遺物である。現在は残念ながら地下水の水位が上昇、底部に数pの浸水がある。

石室探検“なかなか深いですなぁ”
堺伝統刃物館
堺の伝統技術を駆使した「打刃物」を展示、実演、即売を目的とした刃物館を訪ねた。珍しい刃物が並び、見るもよし、聞くもよし、買うもよし。

堺伝統刃物館(↑)、いろいろな種類の「打刃物」(↓)

妙国寺及び宝珠院
慶応4年(1868年)2月、幕末の鎖国と開国の境界にあるころ、フランス兵の一団が堺港に上陸した。当時、堺の警備を担当していた土佐藩士は、これを違法行為として直ちに切り捨てた。フランス兵の犠牲者は16人。実は、この上陸は幕府が許可していたのだが末端の警備部隊に伝えられていなかった。フランスはこれに激怒して武力攻撃も辞さないと強硬な態度で、その始末を要求してきた。幕府は犠牲者と同数以上20人の土佐藩士の切腹を決め、フランス側立会の下、土佐藩士の処刑を行なったのが妙国寺だった。ところが、切腹中に次々と藩士が切腹した自らの内臓をフランスの立会人に掲げて、恨みの歌を連発し、フランス側はその切腹を11人で中止するよう要求したので、9人は切腹を免れた。見事な切腹をした11人の「土佐藩十一士烈死の墓」が、妙国寺の向い側の宝珠院にある。本来なら、許可を伝達する役人に責任があると思われるが、現場に責任を押し付ける考え方は、今も当時も変わらないようだ。

「妙国寺」(↑)、土佐烈士殉難の碑(↓)


天候にも恵まれ、35名の参加者を得て、由緒ある地元商家の子孫で同窓 11期岸谷宏氏の案内で歴史探訪『堺』は大成功であった。
(文責;11期 空 岸谷宏、監修:中 )