| 準備書面(8) | |
準 備 書 面(8) 平成15年(行ウ)第60号 損害賠償(住民訴訟)請求事件 原告 松田浩二 外26名 被告 枚方市長 中司 宏 大阪地方裁判所民事7部 御中 2004年8月27日 原 告 松 田 浩 二 印 原 告 宮 下 和 子 印 原 告 高 山 順 子 印 原 告 村 田 孝 子 印 原 告 村 田 拓 印 原 告 渡 辺 洋一郎 印 原 告 渡 辺 光 子 印 原 告 黒 田 伊 彦 印 原 告 黒 田 薫 印 原 告 山 田 光 一 印 原 告 山 本 節 子 印 原 告 山 田 淑 子 印 原 告 佐 藤 信 江 印 原 告 大 田 幸 世 印 原 告 福 山 昌 也 印 原 告 井 上 由 美 印 原 告 松 田 幹 雄 印 原 告 松 田 久 子 印 原 告 上 野 直 子 印 原 告 鎌 田 恵津子 印 原 告 渡 辺 毅 印 原 告 堀 口 宏 二 印 原 告 西 山 知 子 印 原 告 土 肥 光 一 印 原 告 平 谷 知 寿 印 原 告 石 田 裕美子 印 原 告 石 田 善 彦 印 ※原告の豊田美紀子さんが住民票移動による原告資格喪失のため3月25日付で訴えを取り下げることになりました。※第5回弁論後、2名の原告が(やむを得ない事情で)2回続けて出廷できなかったことをもって裁判所は(教示もなしに民事訴訟法第263条を適用し)訴えを取り下げにしました。ヽ(*`o´*)/ しかし、30名の原告という気持ちで引き続き頑張ります。 記 《 目 次 》 ・第一 準備書面(7)の「第三 枚方市個人情報保護条例違反について」部分に関する補足。 1.「思想・信条・信仰に関する個人情報」について ・第二 国家と国家権力の象徴である「日の丸・君が代」の強制とそれを完遂するための「踏み絵」(思想調査)は個人の尊重を否定し、基本的人権の侵害であり許されない。 1.「日の丸・君が代」が果たした歴史における役割と教育基本法の趣旨。 2.「日の丸・君が代」を巡る問題は、平和と戦争、個人と国家、平等と差別、信教、国籍、歴史観、世界観等に関わる、個人の思想・良心と正義の根幹を占める重大な問題であり、「思想・良心の自由」は、日本国憲法のもとにおいて、最大限に尊重されなければならない。指示・命令によって強行する主題ではありえない。 ・第三 結語 ・添付書証 第一 準備書面(7)の「第三 枚方市個人情報保護条例違反について」部分に関する補足。 1.「思想・信条・信仰に関する個人情報」について 当然のことなのであえて触れなかったことについて、念のために若干の補足を行うものである。 枚方市個人情報保護条例では、個人情報を以下のように定めている。 第2条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。 (1) 個人情報 個人に関する情報(法人その他の団体の役員に関するもの及び事業を営む個人の当該事業に関するものを除く。)であって、特定の個人が識別され得るものをいう。 氏名は個人情報そのものである。原告らは「本件調査」の対象となった起立しなかった教職員の「氏名」および「理由」、その両方の項目に関する情報の収集について違法であると主張している。枚方市個人情報保護条例第7条2項但し書きは、「思想、信条及び信仰に関する事項」の収集を禁止しているが、言うまでもなく、本件調査の場合、「起立しなかった理由」は「思想、信条、信仰に関する個人情報」に該当する。それは訴外市教委教育長も「部分公開決定通知書」(甲9号証)において認めているとおりである。しかしながら、「氏名」もまたたんなる個人情報にとどまらず、本件調査の場合、「思想、信条、信仰に関する個人情報」に該当するものである。本件調査の場合、収集された一覧表(甲2号証・3号証)には「平成14年度入学式の国歌斉唱時、起立しなかった教職員調査」という調査の趣旨がひと目でわかるタイトルが表記されているが、したがって、「本件調査」における「氏名」は、単純に戸籍的事項としての個人情報ではありえない。仮に「起立しなかった理由」の項目がなかったとしても、この調査にあっては「氏名」は、「入学式の国歌斉唱時に起立しなかった、特定の思想、信条、信仰の持ち主である個人(氏名)」に他ならないからである。以下に最高裁判例を引用するが、よって「本件調査」における「氏名」の調査・収集も、枚方市個人情報保護条例第7条違反ならびに憲法第13条違反と第19条違反の違法を構成するといえる。 (早稲田大学)江沢民講演会名簿事件 最高裁判決 判例 平成15年09月12日 第二小法廷判決 平成14年(受)第1656号 損害賠償等請求事件 要旨:大学主催の講演会に参加を申し込んだ学生の学籍番号,氏名,住所及び電話番号は学生のプライバシーに係る情報として法的保護の対象となり,大学が学生に無断でこれを警察に開示した行為は不法行為を構成するとされた事例 「本件名簿は,氏名等の情報のほかに,「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報をも含むものであるところ,このような本件個人情報は,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するというべきであり,本件名簿は,そのような情報価値を具有するものであったことが認められる。」 第二 国家と国家権力の象徴である「日の丸・君が代」の強制とそれを完遂するための「踏み絵」(思想調査)は個人の尊重を否定し、基本的人権の侵害であり許されない。 1.「日の丸・君が代」が果たした歴史における役割と教育基本法の趣旨。 (1)はじめに 本件訴訟で問題となっているのは、明治以降の日本が近代国家として軍国主義の道を突き進み、1945年の敗戦に到るまでのアジア諸国への侵略を鼓吹し続けた「国家主義思想」(天皇制イデオロギー)の象徴として、またそのための道具としてあまねく絶大な威力を発揮した「日の丸・君が代」である。そして特に本件「7点指示」や「不起立調査」で問題とされる「君が代」は言うまでもなく、この、明治以降、古歌「君が代」に全く新しい曲をつけて、天皇の長寿と国家統治の永遠を祈念するものとして作られた、歌曲「君が代」に他ならない。したがって、本項目の趣旨は「日の丸・君が代」の歴史を詳述することにあるのではなく、上述の新たな歌曲「君が代」が敗戦後もその「国家主義ナショナリズム」(核心としての天皇制イデオロギー)を断絶させることなく、連続性を持って脈々と受け継がれていること、すなわち「今に生きる君が代」を明らかにすることにある。 明治以前の「日の丸・君が代」については、それぞれに独自の歴史を有しており、未解明の部分も多いが、近代以後とはその意味も性格も異なっている。そのことを明らかにするために、「日の丸・君が代」の前史についても簡単に触れておくことにする。 @明治以前の「日の丸」旗 「日の丸」とおぼしきものも「続日本紀」の記録に遡るという考えがある。それは幢(とう)と呼ばれる儀式用の飾り物を言い、「日像」「月像」という二つの物がペアになっている。また源平合戦で那須与一が射落とした軍扇にも丸が描かれていたとされるが、それらは中国の陰陽思想に基づくものである。色も月−日、銀−金、青−赤の対応で陰陽を表す物であった。錦旗(にしきのはた・きんき)と呼ばれる幟も同じ考えによって作られている。 「日の丸」の旗は、こうした陰陽思想とはまったく別に、白地に赤一色で描かれることに大きな特徴を持っている。日本の空に「幟」とは異なる本来の旗「日の丸」旗がたなびいたのは、元寇で蒙古がそれを持ってきたときだと言われている。垂れ下がる「幟」よりも勢いよくたなびく「旗」は士気を高揚させるためなのか、その後「日の丸旗」は日本においても出現し、戦国時代にあっては多くの大名が「戦旗」として用いた。関ヶ原合戦図(彦根城博物館蔵)によれば、関ヶ原の合戦では「白地に赤丸」や「赤字に白丸」の「旗」が林立し、また「金地に赤丸」の軍扇も見える。これらの旗はたとえば徳川家康だけが用いたものではなく、多くの戦国大名が旗印として使用しており、江戸時代を通じて使った大名もいくつもあった。「丸」を配した旗は戦場でも目立つことから、好んで用いられたと考えられている。「日の丸」旗は出現以来、戦争と深い結びつきを持っていたのである。徳川家康も他の多くの大名同様「日の丸」旗を使っていたため(もっとも一大名は何種類もの旗印を持っていた)、「日の丸」は幕府の船印としても用いられ、幕末には他国船と区別するために「日本総船印」となった。明治維新の後、新政府はこれを引き継ぐ形で1870年(明治3年)1月に「郵船商船規則」(太政官布告第57)で「御國旗之事」として「日の丸」の寸法形状を定めている。 「日の丸」旗は、戦場における「目印」であり、また他国船との区別のための「目印」であった。 A明治以前の「君が代」 「君が代」のもと歌は(3種類あるが)「古今和歌集」の「賀歌」(がのうた・長寿を祝う歌)に分類され収録されている「題知らず、読み人知らず」の歌である。のちの「和漢朗詠集」にも同じく長寿を祝う歌として収められている。いずれも第一句は「わが君は」となっているが、後世の写本に「わが君」が「君が代」に変化したものが見られる。「君」はふつう「目上や年長者」を指す場合が多い。「和漢朗詠集」に収められた歌は、歌謡として声をあげて詠む機会が多かったため、「よ=代」が寿命(年齢・期間)を意味するとき、「君が代」がその下の「千代に八千代」に照応することで興趣が生まれ、さらに「代」「千代」「八千代」と同じ音を繰り返す「ノリやすい」替え歌のほうが主流になっていったのではないかと考えられている。「君が代」は鎌倉時代になると田楽、猿楽、能、狂言などにも使われ、酒宴の舞にも歌われるようになる。江戸時代には、さらに俗謡、浄瑠璃、小唄、長唄にとアレンジして使われた。これらの場合、「君が代」の「君」は、目上や年長者を指すことが多いが、ときに藩主、将軍などを指すこともあった。めでたい席や行事で歌い、「君」にあたる彼または彼女であれば誰でもよかったのである。 このように祝いの席で年長者や目上の人の長寿や幸福を願う歌として長く人々に親しまれた、いわばポピュラーソングとしての「君が代」が、明治初期の軍隊の急速な洋式化と軌を一にして、まったく別の「歌」へと生まれ変わったのである。 ちなみに「君が代」の歌詞にある「さざれ石」は、長寿を願う気持ちを古い伝説になぞらえて表したものであり、小石が成長してやがて岩となる昔話として、中国の「酉陽雑俎」(ゆうようざっそ)や、類似した話を日本各地に残る民間伝承に見ることができる。文部科学省庁舎や両国国技館前などに「石灰質角礫岩」(石灰岩に小石がくっついて大きくなったものでいずれも原産地は岐阜県春日村)を「さざれ石」として置いているが、これなどは笑止というべきであろう。 したがって、近代以降の「日の丸・君が代」の歴史はそういう意味でははるかに浅いものにすぎない。あたかも古代より連綿と受け継がれる「日本の伝統文化」であるかのように言い回すことは詐術の部類に属する。 (2)明治以降(大日本帝国憲法下)の教育と「日の丸・君が代」 日本の教育制度は、1872年の学制発布により近代的教育制度が開始されたが、1889年に大日本帝国憲法が公布された翌年に教育勅語が発布され、これが教育全体を支配し、国民の精神形成の上で決定的な役割を果たすことになる。教育勅語は、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」とし、「皇国」のためにすべてを捧げて惜しまない国民を生み出した。学校における儀式については、1891年、「小学校祝日大祭日儀式規定」が公布され、これによって、紀元節などの祝祭日に教師、生徒一同が式場で行う儀式の内容が定められた。その内容は、御真影(天皇・皇后の写真)への拝礼、勅語奉読、祝祭日唱歌斉唱などであった。この2年後に、祝祭日に歌うべき歌(「君が代」を含む)が官報に告示された。このころから、「君が代」と「日の丸」は、天皇の祭祀と結びついた祝祭日等の儀式をはじめ学校教育のさまざまな場面で、教育勅語とともに重視されるようになっていった。 「君が代」は、1880年に、宮内庁雅楽課で作曲されたが、軍が天皇礼式曲として演奏するにとどまり、一般国民には知られていなかった。(「君が代」の曲も数種類あり、作曲者についても教科書記載の林広守でないことは明らかになっているが、仔細についてここでは触れない) 「日の丸」は、1870年に太政官布告57号「郵船商船規則」で、わが国の商船は日章旗(「日の丸」)を「国旗」として掲げることとしたが、これはあくまでも商船用の「国旗」として決められただけであった。 これが、教育勅語発布後、日清・日露戦争前後から「君が代」は学校で「国歌」として扱われるようになり、子どもを通じて国民のなかに普及していった。「日の丸」も学校において、「国旗」としての扱いを受け、その普及にあたっては、学校が大きな役割を果たすこととなった。(甲59号証1〜32・甲60号証・甲61号証) 十五年戦争中の1941年に小学校令から改められた国民学校令は、教育の目的が「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」となった。「皇国ノ道」とは教育勅語のなかの「斯ノ道」つまり「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という勅令に従った生き方を指している。これにより、国家が要求する皇国民をして必須の条件を満たすためだけ教育が行なわれることとなった。具体的には、低学年において天皇と天皇制への賛美、忠義、愛国心などを感覚的に教えることとなり、国民の精神に介入するような教育が行われることとなった。 「君が代」は学校儀式には不可欠なものとして、第1学年の音楽の巻頭に置かれ「ありがたい歌」「おごそかに歌う」と刷り込まれていたが、4年では独立した1科目としてその存在意義が教示され、この歌は、「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいて、おさかえになりますように。」という意味で、「国民が、心からおいわい申し上げる歌であります。」と、天皇個人を賛美する歌であることを明らかにしていた。 「日の丸」については、修身の予科的教科書『ヨイコドモ上』(甲59号証14)では、巻頭口絵に、玄関先に日の丸の旗をかかげようとしている少年の姿が描かれ、その画面の左上に白馬にまたがる天皇の写真(天皇観兵式)がはめ込まれていた。『ヨミカタ1』(甲59号証19)も、日の丸の旗を高く掲げ「ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ」の文章を添えてあった。『初等科修身一』(甲59号証16)には、よりはっきりと「敵軍をおひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集って、聲をかぎりに『ばんざい』をさけびます。」 また、教師に対しては、「教師は、ここで國歌『君が代』と、さうして國旗『日の丸』とが相共に皇國の威厳を世界に向かって示す表徴たることを念頭におくべきである。」(初等科修身二、教師用「教学の趣旨)とされた。 このように十五年戦争下における「日の丸・君が代」は、教育勅語と結びついて、天皇のために尽くし、天皇のために命を投げ打つ子どもたちを育てるため使われたのである。 「日の丸・君が代」は、日本が占領したアジア諸国においても、「日の丸・君が代」の強制が行われ、学校や神社において「日の丸」が掲揚された。 (3)敗戦直後の「日の丸・君が代」と教育基本法制定の趣旨 @1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、翌15日、敗戦となった。GHQは、同年10月22日、新しい教育方針を発表した。その内容は、第1に軍国主義的及び極端な国家主義的イデオロギーの普及禁止、軍事教育・教練の全廃、第2に議会政治、国際平和、個人の尊厳、基本的人権の思想に合致する諸概念の教授と実践の確立であった。同年12月15日には、GHQの「神道指令」によって、神道的教育の廃止が迫られた。こうして、文部省は、1946年10月になって、国民学校令施行規則第47条「紀元節、天長節、明治節及び1月1日に於いては職員及び児童、学校に参集して左の式を行うべし。1 職員及び児童『君が代』を合唱す。2職員児童は天皇陛下皇后陛下の御影に対し奉り最敬礼を行う。」などを削除した。 日本敗戦後、GHQとの連絡・調整のために外務省の外局として終戦連絡事務局(終連)が新設されたが、終連は、「日の丸」の掲揚についてGHQは事実上禁止したと考えた。その理由は、1つは、「日の丸」は軍国主義の鼓舞のおそれがある。2つは、戦場での生々しい経験のある連合国兵が「日の丸」を見ると興奮するなどであった。実際、日本政府側が掲揚許可を願い、それをGHQ側が認めるという許可方式になっていた。 1946年11月3日に、教育を受ける権利を保障するとともに、思想、良心の自由、表現の自由など基本的人権を最大限尊重することを定めた日本国憲法が公布され、その翌年に教育基本法が制定された。教育基本法は、日本国憲法の理想の実現は根本において教育の力に待つという考えに立って制定された。これを受けて、6・3・3・4制の新しい教育制度、公選制の教育委員会制度が発足した。 教育勅語などの勅語については、1948年6月に、衆議院で排除、参議院において国会において失効確認の決議がなされた。 A教育基本法制定の趣旨 1947年12月25日発行の文部省調査局長監修「教育基本法の解説」(甲62号証)には次のような説明が書かれている。 「前章第二節一に引用した文部大臣の提案理由の説明の中にあらわれているように、本法は、教育勅語に代わるような教育宣言的な意味と、教育法の中における基本法即ち教育憲法的な意味とをかね有するものということができよう。」 「第一条によれば、教育は、何よりもまず人格の完成をめざして行われなければならない。ここに「国家有用の人物を錬成」することを目的とした在来のかたよった国家主義的教育から解放され、発展してやまない人間の諸特性諸能力の統一調和の姿である人格の完成をめざして教育が行われなければならないことが明示されるのである。」 「教育の目的を実現するための条件として教育行政のいかんは、教育の死活を制するものである。そこで本法は教育行政に関して、まず教育と国民との関係を明らかにした。教育は党派的なものであってはならない。教育は教育者だけのものではなく、国民全体のものである。しかし、教育には自主性が尊重されなければならず、党派的な不当な干渉が侵入してはならない。そこで『教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである』としたのである。」 教育基本法が「あってはならない教育」として何を廃し、何を尊重しなければならないと規定したか、その趣旨は明瞭である。 Bなお、同じ敗戦国であったイタリア、東西ドイツは、新しい憲法下、それぞれ新しい国旗、国歌が作られている。 1948年4月になってGHQは祝祭日に「日の丸」掲揚を認めた。このことについて、当時、「東京民報」という新聞に次のような社説が掲載されている。 国旗といえばいまわれわれは「日の丸」の旗しかもっていない。だが、われわれははたしてはればれとこの「日の丸」を掲げることができるだろうか。明治のはじめ制定された「日の丸」の旗は内に天皇制をささえる象徴として国民を超国家主義思想へかりたてることにもちいられ、外には帝国主義的侵略の旗じるしとして征服の先頭にたったものである。あの「日の丸」の旗にあおりたてられて幾百の国民が戦争へかりたてられたことか。また、アジアの各民族にたいし、「日の丸」をつけた銃剣でいかに多くの虐殺が行われたことか。「日の丸」の旗そのものに罪はないにしても、長い罪悪の歴史とのむすびつきによってもはや拭うことのできない汚れをもってしまった「日の丸」なのである。ほんとうに良心のある国民はあの「日の丸」に対して嫌悪の念さえ持つのである。 ことに憂えられるのは侵略的な「日の丸」の旗がほかの民族、ことに直接侵略をうけた東洋の各民族に与える印象である。(中略) 平和国家を樹立することは民主的日本の理想であり世界に対するわれわれの責任である。かかる侵略の罪悪に汚れきった「日の丸」をわれわれの国旗としてはたして世界にむかって堂々と掲げることができるであろうか。われわれはこころからこのことを反省せざるをえない。 「君が代」に関しては、日本の占領政策を決定する最高機関である極東委員会で、フィリピン代表から、「日本の国歌は、天皇よりは、むしろ民衆政府を賞賛する国歌に書き直されるべきである。」との意見がでたことがあった。また、1948年の読売新聞の社説では、「君が代」について、国家主義的で神聖化された思想内容で、新しい日本に相応しくないと批判して、「国民に新しい歌を」という主張をしている。そのような中で、いくつかの新聞社から、新しい国民歌の募集が行われたりした。 このように、敗戦後、日本国憲法、教育基本法が制定されて以降は、学校における儀式のなかで、「君が代」が斉唱されたり、「日の丸」が掲揚され、それに拝礼したりすることはなくなって、そのような状況が続くようになった。また、社会のなかでも、普通の市民が、祝祭日に「日の丸」を掲揚したりすることは少なくなり、また、「君が代」を歌うこともあまりなくなっていった。 (4) 復活していった「日の丸・君が代」 1950年秋に、天野貞祐文部大臣は、祝日の行事には国旗掲揚、「君が代」斉唱が望ましいとし、続けて修身課の復活、国民道徳要領の必要性を表明した。「われわれは独自の国柄として天皇をいただき、天皇は国民的統合の象徴である。それゆえわれわれは天皇を親愛し、国柄を尊ばねばならない。世界のそれぞれの国家はそれぞれに固有な国柄を持つ。我が国の国柄の特長は長き歴史を一貫して天皇をいただき来たつたところに存している」「国家の道徳的中心は天皇にある」この時以来、「日の丸・君が代」は、日本社会、とりわけ、学校においてたびたび論争の火種となるようになっていった。 「準備書面(6)」で述べたように、1958年、当時の文部省は、小中学校の学習指導要領を改訂し、戦後初めて「日の丸」「君が代」を義務教育の場に持ち込むことを明記した。学習指導要領の「第三章 道徳、特別教育活動及び学校行事等」のところで、「5 国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、君が代をせい唱させることが望ましい。」と規定された。文部省は戦前と同じように学校教育を通じて「日の丸・君が代」を普及させることを意図したのであった。このことは大きな社会問題となり、当時、宗像誠也東大教授は、次のように問いかけた。 「私にも中学3年の子がおり、私は、良心の問題として、この子に君が代を歌ってもらいたくないし、この子自身も歌いたくないといっているが、私は、この子が君が代が歌われる時には退席させてほしい、という権利、君が代を拒否する権利をもっているのだろうかいないのだろうか。もし権利がないのだとすると、私の思想、良心の自由は、どうなるのだろうか。私は、私の子どもの価値観を文部省という役所に、告示でどうでもおきめ下さいと、おまかせする約束をしたおぼえはないのだが。」 1985年、文部省は全国の公立学校がどのくらい卒業式・入学式に日の丸を掲揚し、君が代を斉唱したかについての調査結果を公表した。それによれば、「君が代」斉唱についていえば、全国平均が小学校で、72.8%、中学校で62.3%、高校で49.0%であった。この調査が行われた後、文部省は、実施率が低いところをねらい打ちし、教育現場での実施率を高めようとした。文部省は当時の高石邦男初等中等教育局長名により各教育長に対し、「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること」との、いわゆる「徹底通知」をなした。そして高石邦男教育局長膝元である北九州市教委は、この文部省の「徹底通知」をいち早く受け入れ、その直後にも「卒業式・入学式における国旗掲揚と国歌斉唱の実施について(通知)」を各公立小・中・高等学校へ通知した。北九州市教委は通知とともに、卒業式・入学式の式次第をはじめとした「四点指導」という名の「強制」を行った。その内容は、国旗掲揚の位置は式場のステージ中央とし、児童生徒が国旗に正対するようにする。式次第の中に「国歌斉唱」を入れ、その式次第に基づいて進行を行う。「国歌斉唱」は、ピアノ伴奏で行い、児童生徒及び教師の全員が起立して、正しく心を込めて歌う。教師のピアノ伴奏で行う。教師は卒業式に原則として全員参列する、というものであった。 北九州市教委の「四点指導」に基づいて出された職務命令によって「君が代」斉唱時に起立しなかった教職員が処分された(「北九州ココロ裁判」として今も争われている)。「四点指導」の中にある「心を込めて歌う」とはどういうことであろうか?しかし、この北九州市の突出した動きは、やがて全国に広がるであろう象徴的な近未来図として多くの人々に危機感を抱かせた。 すでに提出した準備書面や書証において原告らは述べていることなので重複は避けたいが、1999年の「国旗・国歌法」制定をはさんで広島では言語に絶する強制の嵐が吹き荒れ、ついに自殺者を出すという最悪の結果をもたらした。北九州市の姿は明日の広島であり、広島の姿は明日の東京にほかならなかった。 「日の丸・君が代」はこのように学習指導要領という一本のか細い糸を、まるで鋼線のように硬く強くすることをもって、しだいに教育現場の奥深く、すみずみにまで侵入し、教育の内実をも縛りあげるように窒息させてきたのである。 (5)生き続ける「日の丸・君が代」の意味 @政府の底意と本音 森喜朗首相(当時)が2000年5月15日夜、東京都内のホテルで開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の結成30周年記念祝賀会であいさつし、「…日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と述べたことは記憶に新しい。しかしこのように国家と天皇を一体のものとして顕揚する発言は、何も森喜朗元首相に始まったことではない。 1977年の学習指導要領の改訂で、初めて「君が代」が「国歌」とされた際、福田首相(当時)は「日の丸を国旗として掲げ、君が代を国歌として堂々と歌えるような、国家への忠誠心を養う」とその目的を露骨に語っている。 1979年には衆議院予算委員会で内藤文相(当時)が、「国旗と国歌を大事にすることが日本の国を守り、日本の国を愛するゆえんではなかろうかと思います。…やはり日本人は日本の国を愛することは根本で、その意味で日の丸と君が代をやることは国民の私は義務だと思うし、それが日本人を育てるゆえんだと私は思っている」と発言した。 そして、「日の丸・君が代」の戦後における復活の経過は、同時に「天皇敬愛」教育の復活の歴史でもあった。初めて学習指導要領で「日の丸・君が代」が書かれた1958年に先立つ55年の改訂では、「天皇は国の象徴、国民統合の象徴としての立場に立っておられる」ことを教えることとされ、1968年の改訂では「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすることが必要である」とされている。そしてこうした「天皇敬愛」教育の集大成とでも言うべきものが、1966年の中教審答申「期待される人間像」であった。「日本国を愛するものが、日本国の象徴を愛することは論理上当然である。天皇への敬愛の念をつきつめていけば、それは日本国への敬愛の念に通じる。けだし日本国の象徴たる天皇を敬愛することは、その実体たる日本国を敬愛することに通ずるからである。このような天皇を日本の象徴として自国の上にいただいてきたところに日本国の独自な姿がある」 甲59号証をつぶさに読んでいただきたい。まさに国定教科書そのものと言っても過言ではないのである。 そして1980年代以降の、それ以前と異なる特徴は、「国際化」という言葉がしきりに強調されるようになってきたことである。「世界の中の日本人」「国際社会への貢献」「国際社会に生きる日本人としての自覚」といった言葉がとりわけ強調されるようになっていった。そうした「国際化」の強調による「日の丸・君が代」の強制は、中曽根内閣時代に作られた「臨教審答申」以降の特色である。海外に進出した日本の資本の海外権益を防衛する必要性と、海外に進出する企業で働く日本人がナショナルな(日本の「国益」を優先する)精神を持つ必要性が求められているからであろう。しかし、これは国際化というよりも、むしろ海外における「国粋化」と言うべきである。 現行の小学校学習指導要領「社会科6学年」には「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮すること。」と記述されている。まったく同じことが修身教科書(国内使用本や朝鮮総督府発行本など)にも「国旗はその国のしるしでございますから我等日本人は日の丸を大切にしなければなりません。又礼儀を知る国民としては外国の国旗もさうたうにうやまわなくてはなりません」等と書かれている。(甲59号証5・7)しかし注意すべきは、まず日本の「国旗・日の丸」が一番美しく、日本人であるならば一番大切にしなければならないという「愛国心」や「自国の優越・誇り」が徹底的に刷り込まれたうえでの「それぞれの国の国民はその国の国旗を大切にしている」という論法である以上、もっとも尊重すべき日本の「国旗・日の丸」と、所詮は「日本よりも劣る」他国民の国旗では、初めからその「重さ」は違っているのである。 A「君」と「代」の解釈 1999年の「国旗・国歌法」制定時に当時の小渕首相は「君が代」の「君」とは天皇のことであると答弁した。また「代」は本来、時間的概念だが、転じて「国」を指す場合もあると苦しい辻褄合わせに終始した。その矛盾や不合理さなどについては「甲63号証」にあるように、著者の上杉聰氏が詳しく指摘されている通りである。「君」の解釈について、「日本国憲法下では日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」とはへそで茶をわかすような話だが、平安時代に作られた古歌の解釈として、国語のテストで正解になるのであろうか。このように国定の解釈をするということじたいがそもそもおかしなことのはずである。しかし、このように国定の解釈で完全に意味を特定し、それ以外の解釈を許さなくしたところに「国歌」としての新たな「君が代」の存在価値があると考えるべきである。明治以降の「国歌・君が代」は、古歌「君が代」とはまったく別のイデオロギーと政治性を持った歌に生まれ変わった。では、小渕首相が編み出した現憲法下での国定「君が代」が、大日本帝国憲法下の「君が代」とは異なる新たな民主的「君が代」だと言えるのであろうか。すでに見てきたように、その答えは否である。 「君」が天皇であり敬愛されるべきこと、「国歌」であり尊重されるべきこと、「君が代」の曲も歌詞も何ひとつ変わってはいないこと、そして学校で繰り返し起立斉唱を強制していること。これらの事実と戦後の歴史は、「君が代」が今も脈々と生き続け、機能していることを証明している。 そしてより本質的な点についてひとこと付言しておくならば、たとえそれがどのような「国歌」であったとしても、強制することは、自らが主体的に学ぶ教育とは無縁の行為であろうと考える。 2.「日の丸・君が代」を巡る問題は、平和と戦争、個人と国家、平等と差別、信教、国籍、歴史観、世界観等に関わる、個人の思想・良心と正義の根幹を占める重大な問題であり、「思想・良心の自由」は、日本国憲法のもとにおいて、最大限に尊重されなければならない。指示・命令によって強行する主題ではありえない。 (1)敗戦後、日本国憲法が制定され、教育基本法が制定された。国家主義から民主主義への転換は多くの変化をもたらしたが、究極のところ、何が変わったのであろうか。 思うに国家主義が絶対的な特権のもとに人々の心までを縛り、精神の総動員をはかるものであったとすれば、民主主義は互いの心を束縛したり、支配することなく、平等の権利のもとに、個人の自由な精神活動を基礎とする、共同社会における実践的な課題解決の社会原理としてあると言えるのではあるまいか。健全な民主主義はつねに実践的なものであり、人々の精神の同化や統合を求める必要性を認めない。そして、多様な思想や良心、多様な個性、多様な価値観、そういった多様で平等な存在は、そのように多様であるがゆえに、逆に、多様なものの中の共通なもの(質)を抽象する客観性(理性)を獲得させる不可欠の前提となる。 哲学的論考は本項の目的ではないのでこれ以上述べることはしないが、絶対者によって精神が画一的に支配され、唯一の価値規範に従属してしまうとき、人間は自らの思考を停止せざるをえない。そこでは議論をするための言葉や思想は不要となり、与えられる命令と、それを実行するための合い言葉だけが必要となるのである。 思想・良心の自由は、個人の自立と民主主義の源泉である。「日の丸・君が代」の強制は、ふたたび国家主義権力が、人々の心の中に入り込み、精神を根こそぎ占領してしまうものだといわなければならない。議論の言葉を必要としない差別と暴力の関係は、相手を平等に自分と同じ人間として見ることを忘れさせ、暴力をふるい、あるいは命を奪うことすらいとわない「動物」へと人間を貶める。 (2)「踏み絵」とは何か。 本件「不起立調査」は「踏み絵」である。「踏み絵」とは、江戸時代に聖母マリアやキリスト像を彫った木板・銅板などを踏ませてキリスト教徒でないことを証明させたことに由来する。 人の行為は、ある意味では言葉よりも正直なのである。口ではなんとでも言うことができようが、実際に盗みを働いたり、人殺しをしたりすることは、多くの場合、気安くできることではないのである。その人にとって何よりも大切なこと、絶対に譲ることができないこと、自分が自分であるために絶対に守らなければならないものを人間は持っている。直接言葉で聞くよりも、それを知るための行為を強要することは、より確かな「思想調査」の結果を得ることができるだろう。「踏み絵」とはそういった性質のものである。 訴外教育長は校長会の挨拶でこのように言っている。「出来るだけ多くの教職員を式場に着席させて、国歌斉唱時は起立を命じてほしい。命じたら、起立しないのは職員の責任になる」(甲31号証15)これを「踏み絵」と言わないならば、いったい何と言えばいいのであろうか。 「国旗・国歌(日の丸・君が代)」を巡る問題が、きわめてセンシィティブな思想・良心・信仰にかかわる問題であることを十分に知りながら、客観的には、公共の福祉や教育の本旨とは言い得ない個人の心の領域に踏み込む「指示」(あるいは命令)を出しておいて、それをしっかりと「調査」する。聞かれれば必然的に「思想・良心」にかかわる返答にならざるを得ない「指示」や「理由聴取」を十分に承知の上でしておいて、「服務・監督」の調査であると押し通すことができるとすれば、もはや間接的にも推知されることのない「沈黙の自由」すらも失われていると言えるだろう。「服務・監督」の名の下に、あらゆる「思想調査」は可能になり、個人の思想や良心への直接的な介入と支配が教育現場で日常的に行われることになっていく。 しかしながら、個人の思想・良心は法律に基づく「服務・監督」の領域ではありえない。本来その必要がないのである。むろん「調査」などは無用のことである。多少なりとも外形的行為に制約がかかるとするならば、その行為や指示が正しく公共の福祉の名に値する内容を持っており、または教育の本質を維持するために客観的に必要なものでなければならないはずである。 (3)最後に有名な「バーネット判決」を抄録するものである。 《ここよりバーネット判決抄録》 バーネット事件判決 …連邦最高裁 一九四三年六月一四日判決 West Virginia State of Ed. v. Barnette 319 U.S. 624 …判決文は「SUPREME COURT OF THE UNITED STATES」87 L ed 1629〜1655 連邦議会は、連邦最高裁判決を受けて、一九四二年に国旗敬礼と忠誠宣誓を定めた。 ウェストバージニア州議会でも、「アメリカニズムの理念、原理、精神の教育、育成、伝統と、政府の組織および機構についての知識の増進を目的として、歴史・公民・合衆国憲法および州憲法の教授を州の全ての学校で教える」よう要求する州法律を定めた。これを受けて州の教育委員会も、公立学校の正規の課程の一部として、合衆国国旗に右手を掲げて敬礼を行うとともに、国家への忠誠の宣誓を行うことを、教員と生徒に義務づけた。その義務に従わないことは、不服従行為とみなされ、生徒は退学処分を受けるほか、両親は処罰(五〇ドル以下の罰金と三〇日以下の拘置)を受けることとされたのである。 宗教団体「エホバの証人」を信仰するバーネット家の二人の姉妹は、国旗への敬礼は旧約聖書で禁じている偶像崇拝にあたるとして、起立はしたものの敬礼を拒否し、国家への忠誠宣誓の朗読文も彼ら独自の文句のものを朗誦したため、学校から退学処分を受けた。ウェストバージニア州では四〇人、全米では二千人以上の子どもが退学処分になったという。そこでバーネット家の両親と二人の子どもが、右記の州法律の差止め命令を求めて訴訟を起したものである。 彼ら独自の宣誓の言葉は次のようなものであった。 「私は全能の神エホバとイエスがそのために祈れと命ずる神の国に無制約の忠誠と献身を誓いました。 私は合衆国の旗を尊重し、それを万人の自由と正義の象徴として認めます。 私は、聖書の中に提示されている神の律法に一致する合衆国の法律すべてに忠誠と服従を誓います。」 連邦最高裁は、三年前のゴビテス判決を全面的に変更し、八対一の大差で退学処分の執行停止を認めた。 ジャクソン裁判官による法廷意見は次のようなものであった。 「現在問題になっているのは、生徒に自分の信条を宣言させることを強制することなのである。生徒は、国旗が何であるのか、あるいはさらに国旗がなにを意味するのかが分かるように国旗敬礼を教えられるのではない。現在問題なのは、愛国心を目覚めさせるための道筋として、教育という時間のかかる、しかもよく無視されやすいやり方を、敬礼とスローガンを強制することで近まわりさせようとすることが合憲か否かということにある。」 「国旗への敬礼は、誓いの言葉と関連して、表現の一形態であることは疑いない。象徴主義は思想を伝達する上で、原初的ではあるが効果的な方法である。ある組織や考え・制度や人格を象徴するのに記章や旗を使うことは、人の心と心を結ぶ近道である。」 「国旗敬礼と宣誓を強制することは特定の信条と心的態度を確認させることになる点にも注意しなければならない。この規則は、生徒がそれとは対立する自分の信念を捨て、命令された儀式にいやいやながらも従うようになると考えているのか、それとも生徒が信念抜きの言葉と意味のない身振りとで受容している振りをすることで構わないというのか、いずれかは不明である。検閲や意見表明の禁止がわが国の憲法で許されるのは、その表明が明白かつ現在の危険行為をもたらし、国家としてはそれを防止し、処罰することが認められている場合のみであるということは、今や常識である。意に反した承認が命令できるとすれば、それは沈黙の場合とは違ってもっと直接的かつ緊急の理由がある場合のみに可能であろう。」 「本件においては、州の側が、現在組織されている政体への忠誠の象徴として旗を用いているのである。国家が個人に対して国家の示す政治的観念を受け入れることを言葉と身振りで示すことを求めているのだ。こういう形の意思表示が強制された場合に、それに異議申立てすることは古くからある事であって、権利章典の起草者たちもよく知っていたことである。」 「国旗敬礼の強制を支持するためには、本心を述べる個人の権利を保障する権利章典が、心もないことを強制的に表明させる公権力の思うままにされて良いのだと言わざるを得なくなる。…自由な公教育は、非宗教的な教育、政治的中立という理想に忠実であるかぎり、党派的ではなく、いかなる階級、信条、党派、あるいは宗派の敵となるものではない。」 「教育委員会が、市民になるように若者を教育するのならば、自由な精神をその源泉において窒息させてはならない。若者にわが国の重要な統治原則を、単なる決まり文句であるかのようにして、その価値をおとしめて教育すべきでないとしたら、それだけ個人の憲法上の諸自由を誠実に保障しなければならない。」 「権利章典が作られたその目的は、ある種の事柄については変転する政治的争いから切り離し、多数派や当局の権力を越えたところに置き、裁判所によって適用される法的原則として確立することにあった。個人の生命、自由、財産、言論の自由、出版の自由、信仰と集会の自由といった権利および他の基本的権利は投票に委ねられてはならないし、選挙の結果に左右されたりはしない。」 「最後に、そしてこれこそがゴビテス判決の核心であるのだが、『国民の統合が国家の安全の基礎であり』当局は『その目的の達成のために適切な手段を選ぶ権利』を有すると論じ、それ故『国民統合』に向けたこのような強制的手段は合憲的であるといった結論に至っている。この仮定の真実性の有無に本件に対する我々の回答が分かれる。当局が説得と実例を通じて促進しようとする国民統合という目的が今問題なのではない。問題は、本件において現在採られている強制がその目的達成のために、わが憲法の下で、許容される手段であるかどうかにある。」 「その時代や国にとって不可欠と考えられる目的に賛同させようとして、人々の感情を強制的に統一しようとするための努力は、これまで悪意の人のみならず多くの善良な人によってもなされてきた。ナショナリズムは比較的新しい現象であるが、時代や場所によって、その目的は民族的あるいは領土的安全保障であったり、王朝や政府を維持することであったり、霊魂を救済する個々の方法であったりした。統合を達成するための当初の緩やかなやり方が失敗するとその達成を決意している者達はますます厳しい手段に頼ることになる。統合を目指す政府の圧力が大きくなるにつれて、その統合が誰のための統合なのかに関する争いがますます強くなる。おそらく、公教育関係者が、若者にどんな教義と誰の教育計画を抱かせ、統一するのかということを選択しなければならないことほど、他のどんな挑発にもまして、国民を深い分裂に押し進めるものはないであろう。」 「反対意見を強制的に排除しはじめるとやがてそれは反対者を根絶する事へと繋がってしまう。意見の統一を強制することは、ただ墓場という同一化をもたらすだけである。」 「我々は統合される者の合意によって政府を作るのであり、権利章典は権力を持つものに、そのような合意を強制するいかなる法的機会も否定している。この国における権威は世論によって支配されるのであり、世論が権威によって支配されるのではない。」 「意見を異にする自由は、あまり小さな問題に限られるものではない。もしそれだけのことならば、それは単に自由の影にすぎないだろう。その本質が試されるのは、現在の秩序の核心に触れる事柄に関しても意見を異にする権利である。」 「我が憲法という星座に不動の星があるとすれば、高級官僚であれ下級官僚であれ、いかなる役人も、政治、国家、宗教或いは他の個人の意見に関する事柄で何が正当であるかを決めることはできないし、また、強制的に市民に対してそれらに関しての信念を言葉や行動で表現させることはできないということである。」 「国旗敬礼と誓約を強制する地方当局の行為は、憲法の制約を越え、すべての公的統制から憲法修正第一条が保護している知性と精神の領域を犯すものであると当裁判所は考える。」 また、ブラック、ダグラス裁判官は次のような同調意見をだした。 「…連邦最高裁は、宗教上の教義や慣行の実体を攻撃する法律の憲法適合性について決定を下さなければならない。これは厳粛なる義務である。この義務を果たすにあたり、本件では、(子どもが)宗教上の理由でためらい、特定の姿勢をとらず、かつ愛国的な決まり文句を口にしなかったというそのことが、国家に重大な危険をもたらしたとは言えない。…強制されて吐く言葉は自己利益への忠誠の証しにほかならない。祖国愛は、自発的な心と自由な精神から発するのでなければならず、人民の選出する代表者たちが、憲法の明記するいろいろな禁止の枠内で制定する妥当な法律を公正に適用することで、吹き込まれるのである。…これらの法律が修正第一条に適合するためには、自由な人々からなる社会と矛盾しないような、互いに競合するいろいろな見解について最大限の寛容を認めるのでなければならない。…平時における国内の安定も、戦時における軍事的な努力も、子どもの心に参加しなかったら人々から非難を受けるかもしれないという恐れしかもたらさないような儀式への参加を、当の子どもに強制することに依存しているわけではない。」 さらに、マーフィ裁判官の同調意見は次のようなものであった。 「国旗敬礼義務の履行が公教育を受ける特権の条件とされており、国旗敬礼義務に従うよう強制されている。…連邦国家が国家の行為から保護している思想及び信教の自由という権利は、自由に話す権利と話すのを控える権利とを含んでいる。…個人の宗教的信条に反する事柄を、肯定するように公けに強制することは、礼拝の自由に反し…、私としては、強制的国旗敬礼により生ずる社会的利益は充分にかつ明確かつ具体的なのだから、この義務づけに必然的に伴う自由やプライバシーの侵害があってもやむを得ないとする考えや、個人の良心や性向に従って話したり沈黙したりする自由が制限されてもやむを得ないとする考えには同調できない。…子どもに対して、その子どもが内容空虚な身振りと思っている姿勢を強要し、自己の信条に反する言葉を繰り返し発するように強制することによって、わずかな祖国愛が子どもの心に生ずるかもしれないが、それよりも子どもの良心を十二分に擁護する方が重要なのである。」 《バーネット判決抄録ここまで》 第三 結語 以上、原告らは訴外市教委がおこなった本件(「7点指示」に基づく)「不起立調査」の違法性について、「準備書面(5)〜(8)」で詳しく述べてきた。本件「7点指示」と「不起立調査」が日本国憲法第19条、教育基本法第10条、枚方市個人情報保護条例第7条に違反することは明白である。したがって訴外教育長(当時)中野一雄の不法行為によって行われた本件「違法な職務」に従事したことに対して、当該職員に支払われた給与ならびに諸費支出(「準備書面(5)」第一)が、枚方市が被った損害であることも明らかである。 最後にひとつだけ付け加えておきたい。すでに提出済みの準備書面においては特に触れなかったが、今春、福岡県久留米市における「君が代」斉唱時の声量調査が問題となり、全国から抗議が寄せられる中で、久留米市教委は今後の調査を中止することを表明した。しかしながら、枚方市教委は歌声の大きさに「大中小」の評価こそつけてはいないものの、毎年、児童生徒、保護者、来賓にいたるまで、全出席者の起立状況と斉唱状況の調査をおこなっている。たとえ今、それについて法の裁きは受けないとしても、いずれ歴史の裁きはまぬがれないと知るべきである。 以 上 添付書証 甲59号証1〜32 教科書の中の「日の丸」「君が代」写真パネル原版の(縮刷版)(写) 平和人権子どもセンター(併設教科書資料館)代表 吉岡数子氏 作成 甲60号証 学校と日の丸・君が代(山住正己著) 岩波ブックレットNo171 P16〜P19(写) 甲61号証 「君が代」訴訟・一審最終準備書面 P3−4 〜 P3−19(写) 甲62号証 教育基本法の解説 P40〜P51(写)(教育法令研究会著) 甲63号証 知っていますか? 君が代・日の丸 一問一答(上杉聰著)P20〜P24(写) 甲64号証 日本少国民文化協会制 愛国イロハカルタ(写) 甲65号証 サンデー毎日 2004年7月25日号 東京都教委「日の丸・君が代」強制の全貌 反対教職員の「思想改造」が始まる P36〜P38(写) |