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古代エジプト文明



▼ヒエログリフ  ▼エジプトの神話  ●神話の故郷  ■案内人の日記

 紀元前5世紀に<エジプトはナイルの賜物>と著書「歴史」に記録したギリシャ人のヘロドトスと、紀元前3世
紀に神官マネトがした王朝区分が、古代エジプトの歴史として今も引継がれている。この項は大学受験用程
度にエジプト文明を要約したが、教育現場で使用する記述は古いので受験生は注意が必要である。
 古代エジプト文明とは、日本の縄文時代の頃の出来事で、エジプトで統一王朝が起こってからクレオパトラ7
世の死による王朝の崩壊までをいう。中・高校の参考書では紀元前6世紀のエジプト人による王朝の終わりま
でとする記述が多いが、これに沿えばクレオパトラはエジプト王朝の女王でなくなり、彼女が造らせた古代遺
跡の時代区分が不明確となる。アッシリア帝国の全オリエントの統一(支配または統治が正確な表現)と整合
性を図ろうとしたのか、マネトの王朝区分を引用して古代エジプトは30王朝(これではマネトの区分以降が洩
れる)という記述が多いが、古代エジプト文明における最後の直接の支配者はクレオパトラ7世である。古代エ
ジプト王朝が外国の支配下になる頃、日本で、弥生時代に文化が移行しているのは全くの偶然であろうか。
古代エジプト文明はエジプト人が独自で作った文明ではない。西アジアや地中海の叡智がエジプトの地で開
花したという方が正しい。そして、その根源はアフリカの大地にあった、と私は考えている。 古代エジプト文明
の記述は、当初ギリシャ語に翻訳され更にアラビア語となり、スペインからラテン語圏に伝播した。日本には、
明治の西欧文化と共に紹介されたが、ギリシャ文明の関連としての扱いであったため、未だに教育関係の書
籍にギリシャ語的な固有名詞が多く使われている。そして、古代エジプト文明の近代的な解明や研究は始ま
ったばかりで、過去の伝承が覆されていることも多い。この項では、極力、現在定着しつつある事項や原音に
近い固有名詞で記述をした。この為、受験生には混乱する事項が多くあると思う。常に新しい知識の学習を望
み、教育関係者の再検討を願っている。

 ■ エジプトの歴史・要約 ■

▼エジプト文明の始まり
今から約3万年前に、古代エジプト人の先祖は西アジア方面から移住した、といわれる。
この頃、地球上は沙漠化が始まり、人々は水を求めて移動し、
ナイルの流域に定着した。
紀元前5000年頃、新石器時代が始まる。
農耕により集落が生まれ、バダーリ文化が興る。

紀元前3500年頃▼ 先王朝時代 ▲紀元前3100年頃
紀元前4000年頃、ナカーダ文化が開花し、北部のデルタ地帯に拡大した。
武力や経済力の較差から身分制度や生まれ、更に職業の分化が起こる。
ナイルの流域でノモス(セパトカーフ。約40の小王国〜州または郡)が誕生し王国統一の動きが活発化した。
この頃から象形文字のヒエログリフ(神聖文字)の使用開始。

紀元前3100年頃▼ 初期王朝時代 ▲紀元前2686年頃
上エジプトのナルメル(メニ、メネス)が上・下エジプトを統一し、メンフィスを首都とする。
ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及。中央集権国家に。

紀元前2686年▼ 古王国時代 ▲紀元前2181年頃
ジュセル王(ネチェルケト)の治世で、王をホルス神の化身とする神王理念の基に強力な中央集権国家が確立。
後世ピラミッド呼ぶ宗教施設の建設が始まる。(ジュセル王の階段ピラミッド)
スネフェル王の真正赤ピラミッド。(メイドゥームのピラミッド、屈折ピラミッド、赤ピラミッド)
ギーザに3大ピラミッド建設。(クフ王のピラミッド、カァフラー王のピラミッド、メンカァウラー王のピラミッド)

紀元前2181年頃▼ 第1中間期 ▲紀元前2055年頃
中央集権国家の崩壊。短期の王の世が続く。
役人や豪族が台頭した混乱期。墳墓などの盗掘や破壊が行われ、新たな道徳観が生まれる。

紀元前2055年頃▼ 中王国時代 ▲紀元前1795年頃
テーベ(現在のルクソール)でメンチュヘテプ2世がエジプトの再統一をする。
宰相のアメンエムハト1世がアメン神を守護として王位につく。首都をメンフィスの近くに遷す。
ピラミッドの造営が再開される。

紀元前1795年頃▼ 第2中間期 ▲紀元前1550年頃
中央集権体制の崩壊。
アジアからの異民族集団ヒクソスが台頭し、支配する。

紀元前1550年頃▼ 新王国時代(前期) ▲紀元前1352年頃
アメンヘテプ1世が中央集権の官僚体制を確立し、国内を安定させる。
テーベのトトメス1世が軍事遠征や異民族の駆逐により領土を拡大し、繁栄の絶頂期。
トトメス2世の王妃ハトシェプストが摂政から初代女王となる。
女王の(義)子のトトメス3世が王になり、数々の軍事遠征を行いエジプトの国土は最大となる。

紀元前1352年頃▼ アマルナ時代 ▲紀元前1336年頃
神官と対立した、アクエンアテン(アメンヘテプ4世)が唯一神アテンを国家神とする宗教改革をし、
テル・アル・アマルナ(アケトアテン)に遷都をする。
トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)が政治の拠点をメンフィスの移す。

紀元前1336年頃▼ 新王国時代(後期) ▲紀元前1069年頃
宗教改革が失敗に終わる。
ラメセス1世、その子セティ1世が即位する。
国家は再び繁栄する。
建築王ラメセス2世の長寿統治。

紀元前1069年頃▼ 第3中間期 ▲紀元前747年頃
宗教改革は失敗するが国家は再び繁栄する。
テーベの神官が王権を主張し、国家が分裂。
リビア系のスメンデス王が下エジプトで新王朝を起こす。

紀元前747年頃▼ 末期王朝時代 ▲紀元前332年
ヌビア軍のピアンキが王朝を起こし、エジプトを統一。
以降、紀元前525年アケメネス朝ペルシャの支配等の外国の支配を受けエジプト人による王朝は終わる。

紀元前332年頃▼ マケドニア時代 ▲紀元前305年頃
マケドニアのアレクサンドロス大王の侵入し、その支配下となる。

紀元前305年▼ プトレマイオス朝時代 ▲紀元前30年頃
将軍プトレマイオスがアレキサンドリアで王に即位をする。
ローマ帝国に屈しクレオパトラ7世が自殺して、古代エジプト時代が終焉する。

紀元前30年▼ ローマ帝国の支配下 ▲西暦395年頃
ローマ帝国の属州となる。
西暦392年キリスト教ローマの国教となる。

西暦395年▼ ビザンツ帝国支配下 ▲西暦641年頃
ローマ帝国の東西分裂により、東ローマ帝の国領となる。

西暦641年▼ イスラム時代 ▲現代
アラブの侵攻によりイスラム化。

1517年オスマン・トルコ帝国の支配下となる。

フランス・イギリスの支配下でエジプト王国となる。
1952年ファールーク国王を追放してエジプト共和国になる。(エジプト革命)
1958年ナセル大統領のもとでエジプト・アラブ連合共和国となる。

              エジプトの神話

■ 代表的な人物 ■

●ナルメル王(メネス王) (紀元前3100年頃)…初期王朝時代
 「ナルメル・パレット」に刻まれた、上・下エジプト統一の王でメネス王と同一視されている。王は上エジプトの出身
で、都はメンフィス。

●クフ王 (紀元前2550年頃)…古王国時代
 神王理念による中央集権化が確立をし、ギーザ台地に大ピラミッドを建設た有名な王であるが、現存する記録は少
ない。神々を侮蔑的に扱ったとの逸話と巨大ピラミッドの建設から暴君との歴史的評価を受けたが、近年の研究でそ
の評価の見直しがなされている。

●ハトシェプスト女王 (紀元前1500年頃)…新王国時代(初期)
 王家の谷の東側にある女王の葬祭殿は古代エジプトの神殿建築の最高傑作。(義)子トトメス3世の摂政から女王
となる。雌牛のハトホル女神になぞられているが、雌牛の優しさと併せ持つイシス女神のような勝気の性格から、女
王の死後、子トトメス3世は遺跡から女王の姿を削り取った。葬祭殿の様式の変化と同様に女王の治世には神を含
めた外来の思想が王朝に採り入れられたと私は推測してる。乳香や没薬などの香料等の貿易を通じ近隣諸国との
和平外交をした才女で、調和を意味するオベリスク(「焼き串」からのギリシャ語、古代エジプト語はテケン)が物語る
謎にも興味が惹かれる。女王の死後、トトメス3世が軍事遠征で国土を拡大したことから、両者には外交上の確執が
あったものと思われる。残存する女王の付け髭をした王像にて男装をしていたといわれているが、王像は髯で表現す
る決まりがあったので、この説は当らない。雌牛の持つ慈愛に満ちた優しさの像が彼女を如実に語っている。

●アクエンアテン王 (在位紀元前1379年〜1362年)…アマルナ時代
 アメンヘテプ4世の改宗名。テーベで強力化したアメン神官達に対抗し、遷都地テル・エル・アマルナで王宮内で信
仰されていたアテン神に帰依して一神教への宗教改革を行う。アテン神は太陽とその光のような実態が見えない
(偶像が無い)のと、直接礼拝は王室のみで、庶民は各戸に奉った神棚の王室の姿を描いた石碑を拝むという、従
来の形式を無視した新宗教であった。この為、神官のみならず庶民の信仰信が王から離れ、王の死とともに宗教改
革は失敗した。外来の新しい様式の芸術を取り入れ、王家の家族愛を中心とした現実描写の美術が栄えた。

●トゥトアンクアメン王(ツタンカーメン王) (在位紀元前1361年〜1352年)…アマルナ時代
 1922年に発掘された王家の谷62号墓の遺宝で最も有名なファラオであるが、実像は未解明である。(義)父はア
クエンアテン王といわれ、9歳で即位し、18歳で死んだ。遺宝の多くはカイロ・エジプト博物館の特別室に展示してあ
るが、王のミイラのある62号墓も一見の価値がある。

●ラメセス2世 (在位紀元前1304年〜1237年)…新王国時代(初期)
 ラムセスとも表記されていますが、誕生名が太陽神ラーの子の誕生という意味の「ラー・メス・シス」ですので、私は
ラメセスと表記しています。
 アブ・シンベル大神殿を始めエジプト国内に最も多くの建造物を残し、67年間の長い治世をした長命の王。先立っ
た美貌の正妃ネフェルタリの為に王妃の谷の墓やアブ・シンベル小神殿を造った。シリアでヒッタイト王とカデシュの
戦いに挑み、その様子と和平調印文がアブ・シンベル神殿内に刻まれている。

●クレオパトラ7世 (在位紀元前51年〜30年)…プトレマイオス朝時代
 イシス女神を信奉する才女で、ギリシャ系(マケドニア人)の古代エジプト王朝最後の女王。ローマ帝国のカエサル
(シーザー)の力を利用して王朝の継続を願い、カエサルの死後、武将アントニウスと結びローマ軍と戦うがオクタヴィ
アヌスに敗れ、自殺する。デンデラのハトホル神殿に姿を残し、美貌といわれるが、実像は見当たらない。


 古代エジプト王朝の各時代を代表する人物を採り上げたが、彼等の評価は、後世必ずしも良くない。日本の「記紀」
と同様に、後世の為政者の都合で神話や俗話が創られる。功罪を問うのではなく、其々の時代背景を加味して、
普遍性のある再評価の必要がある。兎も角、彼等は古代エジプトの偉人達である。

詳しい古代エジプト文明は、推薦図書をご覧下さい

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