星と☆形【4】(天文教原稿素案)
星と☆形 -The Symbol of Stars - 第4章
西村昌能(京都府立洛東高等学校)&TENNKYO-ML☆形チーム
第4章 ☆型図形の起源と☆形を利用した文様
前回までに星を表すのに人類は☆、*、○などを利用してきたことが明らかになりました。
ところで、現代人に「星を表す記号は何?」と聞けば、10人中10人とも☆と答えるでしょう。

今回は、この☆型図形の起源とそれを利用した図形について考えてみましょう。

4.1 五線芒形の起源

星形といえば、☆ですね。
この形を五線芒形とか、ペンタグラム、
ペンタフラマ、ペンターコロといいます。
ペンタはギリシア語で数字の5を表します。五芒星ともいいます。
基本的には西アジアや地中海世界でも東アジアでも最初は、星を表していたものではありませんでした。

4.1.1 ギリシア時代のペンタフラマ

ペンタフラマの起源は西アジアにあったようです。
綾仁さんはアッカド語の星に関係して
「『アッカド語』(飯島紀 国際語学社 2000年) に楔形文字一覧があり、
そこに初期の絵文字まで載っているのです・・・中略・・・
おもしろいことに,ペンタグラム(五芒星)の絵文字もありますが、
意味は「区域」です。メソポタミアでは五芒星は星とは関係なかっ
たようです。」とメールを下さいました。
なるほど。
「私も、なるほど、です。
バビロニア起源の五芒星といえば、かのピタゴラス教団の紋章で、各辺が互いに他を
黄金分割するその作図法は、秘密とされたようですが、今では中学生幾何のよい教材
になっているようですね。確かに、天の星よりは数秘学的シンボルといえましょう。」
とは茨木孝雄さん(杉並区立科学教育センター)のメールです。

ピュタゴラスは、数学を宗教にしたような人で
イタリアでは大きな勢力を持っていました。
彼らはピュタゴラス教団と呼ばれ、そのシンボルにペンタフラマを
用いていました。
ダンネマン(1)の注には
ローズ・ボールの『数学史の短い記事』(1901)を次のように紹介しています。
「ピュタゴラスは実際は宗教的で、いくらか禁欲的なタイプの哲学者で、モラリストであった。
ピュタゴラス派はすべてのことにあたって同志的に行動し、同一の哲学的信念に生き、同一の研究に携わり、
教義や秘密を門外に漏らさない誓いをたて規則正しい質素で厳しい修道僧のような生活を送っていた。
自分たちを見分けるためにペンタグラマ(ト・ツリプルーン・ツリゴノン 三重三角形)を利用した。
これは健康のシンボルである。5角の先には、νγιεια(ヒュギエイア、健康、ειはθで置き換え)
のアルファベットが書かれた。(西村要約)」

図4-1 ピュタゴラスのペンタフラマ


4.1.2 中国での五芒星

私は高校教員で、その仕事柄、進学説明会にいくことがあります。
数年前、大阪の「料理界の東大」と自ら称している専門学校の
説明会に出かけました。会場は有名ホテルだったのですが
その会場で、中華料理の先生(テレビにも出演する有名人)
がホワイトボードにサーと☆形を書かれ、その頂点に「酸・苦・甘・辛・鹹」
を添えられました。先生は「これを五味といいます。」といわれ、中華料理
の話をされたのでした。
これは陰陽五行説で、味を解説されたものだと思います。
「一、五行。一日水。二日火。三日木。四日金。五日土。
水日潤下。火日炎上。木日曲直。金日従革。土爰稼穡。潤下作鹹。
炎上作苦。曲直作酸。従革作辛。稼穡作甘。」これは書經の文章です(2)。
訳してみれば、「五行の第一は水である。二に火、三に木、四に金、五に土。
水というものは物を潤しながら下っていく物だ。火の本質は炎を上げること。
木は曲がった面やまっすぐな面を作るし、金は型にしたがい、硬くなる。
土は作物を育てて収穫できる性質がある。
潤下すれば塩味を作るし、炎上すれば苦味を、曲直すれば酸味が生じ、
従革すれば辛みの元、作物からは甘みが生じる。」という風になりますが、
少々こじつけの部分もありますね。
五味のほかに漢書律暦志(3)には
陰陽(少陽、大陽、中央、少陰、大陰)
季節(春、夏、土用、秋、冬)
五則(規衡縄矩権)
五星(木星、火星、土星、金星、水星)
五方(東南中西北)
五色(青赤黄白黒)
五声(角徴宮商羽)
五常(仁礼信義智)
五数(八七五九六)
が上げられています。
ただし律暦志では五味は醯、酒、飴蜜、薑になっています。
(木火土金水が五行と一対一に対応するのは漢代になってからのことです(4)。) 

ニーダムによると五行説の始まりは紀元前4世紀初期の斉らしいです(5)。
この時から煉丹術との関係があるらしい。
煉丹術というのは、錬金術のことです。
これは、西の世界とほぼ同時かやや遅れての現象です。
陰陽五行説は、もともと陰陽説は世界を陰と陽の二元で解釈しようとしたものであり、
五行説は5つの元素で解釈を試みたものでしたが、
五行の中には陰なるものも陽なるものも含まれていますから、これらが結びつくのは、必然的でした。
天体にも日月五惑星がありますからこれらとの関係から占星術、方角や風向、陰気、陽気の地勢は風水説、
元素のシンボルから錬金術と変幻自在に結びついていったのです。


4.1.3
邪視よけ

地中海世界や西アジアでは邪視から身を守ると考えが現在でもあるようです。
邪視とは人をねたむ事から起こることで、ねたまれた人に災難がおこるという考えです。なかば信仰のようなもので、
大変、おそれられています。
トルコ土産に「ナザールボンジュウ」という眼の形のペンダントがあるようですが、
これも邪視よけです。nazarは見方、boncugu<boncukはビーズ玉です。
「眼力玉」とでも言えばいいでしょうか。
☆の形もこの邪視よけの一種で☆を一筆で書くと6つの目ができ、邪視よけになると思われたのでした。
これは、中東やイタリアでは、「ファーティマの手」と呼ばれています。

日本でもかつて、鬼よけに目籠を竿にさして屋根に立てかけた地方があるようです。
目籠の文様は☆形で、この形をいくらおっても止まらないので鬼の邪視の威力が弱まると考えたらしいです。
籠目の六芒星も同じような働きをしたようです。
そういえば、「にらめっこ」も邪視を模した遊びだとか、邪視除けだとか言われています。

綾仁さん(美星天文台)からは中国映画に出ていた☆形について
「☆マークの話ですが,40年くらい前の中国の農村を舞台にした映画『初恋のき
た道』にでてきた小学校の校門に、五芒星ペンタグラムの飾りが取り付けてあ
りました。近代中国でも魔よけの飾りとして広く使われていたのでしょうね。」
とありました。最近まで、中国ではおまじないとしての☆形が使われていたのです。
陰陽五行説と相まって護符としての☆形の役割がはっきりしてきました。


4.1.4 魔法陣としての☆形

中国の道教=陰陽五行説は日本に奈良時代には入ってきて、
宿曜道や密教などを取り入れて日本風に変質してきます。
それを陰陽道(おんみょうどう)といいます。
安倍晴明も何人かいたうちの陰陽師の一人です。
☆形を晴明判紋とか晴明桔梗といいますが、これも星形ではありませんでした。
平安時代の安部晴明が一度死に、生き返ったとき、閻魔大王から授かった
護符が五芒星だという伝説があります。
真如堂では、この時の御朱印をいただけるらしいです。
晴明さんの故事は臼井正さんがこの天文教育にまとめられています(6)。
安部晴明自身は陰陽道、暦道、天文道の一臈(いちろう)でありましたが、後の
土御門家の祖となります。
現在、土御門家ご本家は兵庫県に移住されていますが、
応仁の乱のころ、土御門有宣(つちみかどゆうせん)が福井県の
遠敷郡名田庄村納田終(おにゅうぐん なたしょうむら のたおい)
に乱を逃れて疎開しました。
三代、久脩(ひさなが)が都に戻る1600年まで、彼の地で泰山府君をお祭りしていました。
現在、名田庄村には天社土御門宮があり、2月に星祭り、8月に名越のお祭り
をされています。
そこには、☆を形取った文様が多く見て取れます。

図4.2 天社土御門宮社殿にある☆を形取った提灯

京都市の堀川通りにある晴明神社の☆とはすこし違った形です。
晴明判紋は、妙心寺などのお堂の東北かど(鬼門の方向)の屋根瓦にもあり、魔除けとしての役割を担っていました。

4.2 国旗の記号

さて、国旗というものは、国の象徴です。
ですから国旗にはその国の主張(国民のアイデンティティー)が描かれているはずです。
その国旗に☆形がかかれている国旗がたくさんあるのです。

鈴木麻乃さん(愛媛県総合科学博物館)は、
「国旗に星・太陽・月マークを使用している国はものすごく多いのですねえ。
その中でも星マークはかなり使われている。
197ヶ国(で、合っているでしょうか)中、ざっと数えて59の国旗に
星らしきマークが記されている。
そのうちのほとんどが5辺形。
ブルンジ共和国は6辺形。
ニュージーランドとオーストラリアは似たようなデザインなのに
なぜか、ニュージーランドは☆、オーストラリアは7辺形の星。
ヨルダン・ハシミテ王国も7辺形。
アゼルバイジャンは8辺形。
マレーシア・ネパール・ナウル共和国はピカピカで何角形だこれ?
ざっと見て上記8ヶ国以外の51ヶ国は、話題の☆マークを使用。
もっとも、国旗に使用される星形が全て天体を表すものではないし、
その国旗が作られた時代によってその民族が使用する星マークは
違ってきていると思われます。
つまり、何の証拠にもならない話なんですが、
会報のネタにはならない…でしょうか。」
と国旗の☆形に関するメールを下さいました。

ここでちょっとまとめておくと
国旗の☆形には次のカテゴリーがあるように思えます。
1)イスラム国家
2)イギリスから独立した国々、特に南太平洋の国家
3)社会主義国
4)アフリカ諸国
5)南北アメリカ諸国
6)イスラエルのダビデの星(六芒星)、エチオピアの「ソロンの五芒星」、チュニジアの「スレイマンの紋章(五芒星)」
のように名称があるもの。

そのそれぞれの国で☆形の起源の相違はあるでしょう。
星の光条の数自体にも意味を持たせています。
そのうち、1)のイスラム国家は三日月と☆の組み合わせが多いですね。
イスラム教国以外で月星をシンボルにしているのは、
シンガポールくらいかと思いますが、そのシンガポールもはじめは
イスラム教国のマレーシア連邦の首都でしたから、その影響はあると思います。
なお、そのぞれの国旗の徽章の説明は、説明する人によってかなり違います。
当事者の国家の説明でもはっきりしません。
国旗は政治的なものですから、もとの意味と違う意味づけがあとからされている可能性があるのです。
国民の象徴といっても、権力者の象徴にほかならないこともまま、ありますね。
ですから、注意深く調べる必要があります。

南太平洋の国々の国旗には南十字星が使われています。
社会主義国の☆の起源はソビエト連邦旗の「鎌と鎚」の上にある☆が元ではないかと推測しています。
アフリカや中南米の国旗の☆は独立の精神、独立時の主要な地方などを象徴してるようです。
また、冷戦時代、東側(ソビエト連邦)の影響化で独立した国家が好んで使用したのかもしれません。

アメリカ合衆国の国旗は、1777年制定ですが、1775年3月発行のボストンの新聞「Massachusetts Spy」には
「遠くから今、輝く夜明けの光の筋が、射して来た。
上ってくる帝国の祝福された絵姿で。
アメリカ国旗は今、星をきらめかし。
空一面を今すぐに、燃え上がらせることだろう。(西村訳)」
というように星は、独立のシンボルとして使われたのです。(7)

4.2.1 トルコの月星旗

ここで、イスラム諸国の国旗によく使われている三日月と星について考えてみましょう。
三日月と☆の旗印は私はオスマン帝国にあると考えています。
それは、オスマントルコ帝国の旗の起源が1700年までは遡れることと、
オスマントルコが15世紀から20世紀にかけて、イスラム圏の中心(17世紀までは世界の中心)であったからです。
ちなみに20世紀初頭の英領エジプトの旗もよく似た意匠です。(8)
ただし、後にオスマントルコの支配下に入るチュニスの旗には三日月のような模様が三つあります。
さて、いろいろと本やHPを見ていますとトルコの旗印の起源には異論があるようで、これといった決めてがありません。
たとえば、
(1)ビザンチン時代からの紋章説(月の女神アルテミスと聖母マリアのベツレヘムの星)(9)
(2)ムラート一世の故事説(14世紀にオスマン・トルコ帝国皇帝ムラート一世が
コソヴォの戦いに臨んだ際に三日月と星が輝いたというエピソードに由来。)(10)


日本旗章学協会(11)では、
(1)の他に
(3)肥沃な三日月地帯から着想したとするアラブ起源説
(4)はては古代バビロニアのカルト教団発祥説
 まであり確定されていない現状だ、としています。

そこで私は
(5)メフメット二世のコンスタンティノープル陥落説  をどこかで読んだのを思いだしました。

「イスラム圏の国旗にある星と月は、
あの、オスマントルコ帝国のメフメット二世がビザンチン帝国
・コンスタンチノープルを陥落させた時に見られた月と金星であると
言われています。コンスタンチノープルはコンスタンチヌス十一世
がよく守備し、海上からの攻撃に耐えましたが、
メフメット二世は船を山越えさせ、金角湾の後ろ側に回り込み
やっとのことでコンスタンチノープルを陥落させることができました。
この時、空に見えたのが三日月と金星だそうです。
史実はどうだったのでしょうか。
今は文献がなく、この文章はうろ覚えでかいていますので、
お気づきの点はご訂正、ご指摘下さい。
なお、イスラム圏の赤十字社にあたる
赤新月社の三日月マークもこの時の月が起源のように思います。」
とMLに返答しました。
そこで、斉藤国治先生ばりに古天文学者をめざして
ステラナビゲーターで当時の星空を調べてみたのです。
「コンスタンチノープルの陥落が1453年5月29日であることが
わかりましたが、その日付では下弦の半月で、金星にも遠いですね。木星は
月から離れて東に見えますが。」とMLに報告しましたら、
渡部義弥さん(大阪市立科学館)か「ユリウス暦をグレゴリオ暦に換算しましたか。」
とのご指摘をいただきました。
早速、グレゴリオ暦に直しますと図のようになりました。

図4.2 1543年5月28日朝4時のコンスタンティノープルからみた東空

まさしく、トルコ旗になったのですが、これがトルコ国旗の「真実」だとはいいきれません。

メフメット二世は父、ムラート二世との確執があり若くして皇帝になったり
父が復権したりの中でこの偉業を成し遂げたのですが、
その前日(5月28日)の朝に月と金星を見ているようです。
また、コンスタンチノープルへの総攻撃は星占いで決めたとも伝えられています。(12)

ここまで来たらと思い、ムラート一世の故事を調べてみました。
1389年6月20日(ユリウス暦)の夕方を調べますと
月齢4.9の月の東側に木星が輝いています。
現在のトルコ国旗の月星とは逆位相ですが、
その美しい姿に感激したと思います。

図4.3 1389年6月20日20時バルカン半島での西空

さて、日本旗章学協会のHP(13)を見ますと
1700年-1793年のオスマン・トルコ帝国旗は緑地に白い三日月が三つで、
一番右の月に六本の光条が出た星があります。
1793年のオスマントルコ帝国旗(赤地)の星には八本の光条が出ています。
この星は現在の五芒星より月に接して描かれています。
1842年から星は五芒星になっています。

もともと、月は、ムスリムの象徴かもしれませんし、トルコ族の象徴かもしれません。
コンスタンチノープルの象徴でもあったようです。
何度も月星の姿が戦いの中に現れて
ますます、自分たちの象徴として
敬愛するようになったと思うのです。
月に続く星の形は時代を映して変わったのでしょう。

4.2.2 日本の五芒星旗

ところで、日本でもこの☆形の旗を使ったところがあります。
明治維新のときの奥羽列藩同盟の旗印は各辺がすこしふくらんだ五芒星でした。
どうも日本では北に行くと☆形を使いますね。
北海道は☆のイメージがあります。
雪印の雪型の中にある☆やサッポロビールの☆は北極星を表しているようですが
これは北海道道開拓史が使用した北辰旗に起源があるようです。
北辰旗は、本当のことはわかりませんが、アメリカのテキサス州旗に起源があると説も聞きます。
開拓史の北辰旗は北極星を形取った赤い五光星が描かれていたらしいのです。
「五稜郭にも魔方陣の意味があったのでしょうか?」とは福江純さんのメールです。
2002年の天文教育年会は北海道でしたので、気になって調べますと
五稜郭のとなりには四稜郭という小さい城あとがありました。
五稜郭は箱館奉行は、北辺の防備を強化するため、砲台と役所を兼ねた城郭を、
武田斐三郎に命じ、彼がオランダの築城書を研究して、設計した城郭です。
ですから魔法陣としては西欧風ならともかく日本的はものではありません。

ですが、フロンティア、革命的と言われるところに☆ありと言う感じです。
ところで北のビールが☆のサッポロビールなら、
南は沖縄のオリオンビール。これには、オリオンの三つ星を形取った3個の☆が並んでいました。

図4.4 北極星 図4.5 オリオン(西村撮影) うまそう。

現在の北海道章は七光星ですが、
青森市の紋章を見ますとこれも北海道章と同じ七光星です。
やはり北方は北極星なのでしょうか?

図4.6 青森市役所職員のはっぴ 天文教育研究会(北海道大会)参加の途中に寄り道して
見学した青森ねぶた祭りにて(西村撮影)

堺市の秋山晋一さんは西村あての直接メールでヨーロッパの市の紋章について情報を
頂きました。
そのなかで、☆がいくつかあるのですが☆はSt.Maryという成人に関係することがわかりますし、
ハプスブルグ家と関係する場合も多いですが、意味不明や意味がないこともおおいようです。

「秋山@台風の影響で午後から休業です
先日、国旗の話しもありましたが、貴兄の言われたとおり
日本では家紋も星は○でした。
http://www.harimaya.com/kamon/index2.html

海外の紋章のサイトをみました。よくわかりませんが
国旗とは別で地域や領地の紋章みたいです。11世紀以降のものもたまに
ありましたが、国や地域により六星・五星が異なってるようです。

INTERNATIONAL CIVIC ARMS
http://www.ngw.nl/indexgb.htm
家紋 月と星紋
http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/hosi.html」
とのことでした。

4.3 日本での五芒星の利用

五芒星のマークは日本や中国で陰陽道の護符として魔よけに利用されました。
護符というのは、その形自体に御利益があるものです。
良く似たものに呪符がありますがこれは、形にお祈りをして効力を与えたものです。

さて、青森県の甲田昌樹さんは
「日本の場合、第二次大戦中に出兵する家族の安全を祈願して、
晴明紋の五芒星をかたどった物を持たせたり縫い付けたりするのが
流行して、これがゆえに五芒星のデンザインが普及したという話を
どこかで読んだか聞いたような気がします。」
とメールを下さいました。

「私は、もう少し古く、明治始め、ひょとしたら幕末に西洋から軍隊へ星形が
入ってきていると信じています。(星としては実際には17世紀でしたが)
旧軍の鉄兜や襟章には星のマークがついていますが、これは弾よけのまじない
で、西欧諸国では愛用されていた様です。それが、当時日本に入ってきたと
考えるのです。
あの、無神論のはずのソ連邦の軍帽、襟章や飛行機にもついていました。
当然、合理性の国のUSAの飛行機や戦車や車両にもついていますね。
(これは国旗と関係が有るかもしれません。日本は国旗などと関係はありませんね。)
今の自衛隊には桜のマークがついていたと思うのですが、どうでしょうか?
弾があたると貫通しそうですね。

晴明神社の近くには一条戻り橋があり、京都では出征兵士をそこから
送っていったとか。一条戻り橋は、晴明が亡き父をよみがえらせた
故事があるためのこと。
晴明さんの星形は現在、自動車に貼るお守りとして売っています。」
とおかえししましたが、
広瀬秀雄によると陸軍の星の徽章は明治6年導入で「森鴎外によると
ドイツの魔除けの呪符」ということですが、別の人によってこれは否定され
ていて、起源が定かではないようです。(14)

図4.7 旧日本軍の鉄兜

日本の家紋の星は○ですが、これも元をただせば、九陽星などが起源で、
魔除けですね。曜とは星のことです。なぜ、星が9あるのかというと
インド起源の考えに日月五惑星のほかに日食を起こす惑星(羅ゴウ)
と月食を起こす惑星(計都)の9星なのです。
ヨーロッパでは、サークルも魔除けの護符で、軍服のそでについている飾りがそれです。

ところで、カゴメというトマトケチャップの会社はご存知でしょう。
カゴメ株式会社のHPの質問コーナーには次の問答がありました。
今の話題に関係するので載せておきます。ちょとおもしろいですね。
「Q 1. 「カゴメ」という社名の由来は何ですか?
A 1. 大正3年に設立された愛知トマトソース製造合資会社(カゴメの前身)の社長、
蟹江一太郎が1917年(大正6)初めて商標登録をしました。
最初の申請は、一太郎に西洋野菜の栽培をすすめてくれた西山中尉との出会いを記念して、
マルの中に、陸軍のシンボルマークである“五角の星”でした。
しかし、これでは許可がおりず、“六角の星”で再申請。
またもや「とにかく星ではだめ」で結局、三角を二つ組み合わせたマークを
“籠の目”のようだということで、カゴメ印として再々申請、
やっとのことで許可がおりました。
その後、1963年(昭和38)社名をカゴメ株式会社と改称し、現在に至ります。」
(15)

4.4 五芒星の起源

服部完治@名古屋市科学館からは大変素晴らしいご研究を紹介してくださいました。
長くなりますが、一部を引用させて頂きます。
「昨夜、山から下りてきましたら、ペンタグラムの話で
盛り上がっていますね。

私が10数年前に当館の友の会の会誌に書いた文章(16)を
以下にアップしましたので、関心のある方はご参照
ください。(一部の図は省略しています)
大阪市科学館友の会「うちゅう」2001年6月号掲載
の臼井正氏の「星のしるし」と似た系統の話です。
http://homepage1.nifty.com/nagareboshi/300/gobousei.html

以下はこのHPの一部です。是非、全体をご覧下さい。

五 芒 星 (ペンタグラム)

 金星は、8年ごとに天球上のほぼ同じ位置に戻ってくる。
地球と金星の会合周期は約 584日であるが、これを5倍した日数(つまり地球と金星が
5回出会うのにかかる日数)を1年の長さ 365日で割ると、8でぴったり割り切れるのである。
偶然とはいえ、面白い結果である。
 過去8年間の金星の内合の日は、1980年6月15日、82年1月20日、83年8月23日、85年4月2日、86年11月4日、88年6月13日であった。
この日付を円形ホロスコープ上に描いて順番に結ぶと、きれいな星形になる。
右図のように、星座早見盤で試してみるとよい。これを「金星のペンタグラム」
あるいは「イシュタルの星」と呼ぶ。
 「星形」というと、たいていの人はこの形(☆)を一筆書きで書くだろう。光芒(尖った部分)が5つあることから五芒星(ペンタグラム)と呼ばれ、世界中に広く分布している。
イシュタルやビーナスなど、金星の女神に固有の記号とされ、古くから最も尊重されたシンボルであった。
(中略)
 図4.8 金星のペンタグラム

 錬金術やカバラでは、ペンタグラムを「小宇宙としての人間」の象徴とする。
右図に描かれた男性像の頭、両手、両足の先は、ペンタグラムの尖端として、五惑星の配置された宇宙を表わす円に
内接している。
人間は五惑星に支配されているのである。
四元素からできている人間が五に到達するためには、生命の担い手であるもう一つの元素を付加しなければならない。
この元素こそ、中世の錬金術が目指したものだった。
 中国でも、陰陽五行説における5元素の循環として、ペンタグラムが用いられた。
木は土を耕し、土は水を吸い、水は火を消し、火は金属を溶かし、
金属は木を切り倒すという、五行相剋の関係を表わすのである。

 ペンタグラムは、他の一筆書きで構成される図形と同様、悪霊を防ぐ力があるとも考えられた。
魔性のものが人にとりつくには、線の切れ目である「門」を必要とするが、ペンタグラムはどこが始まりかわからない。
また、それぞれの線分が他の線分を黄金分割に切っているので、悪魔が閉じ込められたら出られないという意味も持っている。
守護や魔除けの護符、あるいは魔術の道具として、世界中に広く分布している。
 バビロニアでは、内容物を保存するために、壺にしばしば描かれた。
イスラム圏でもマホメットの末娘の名にちなんで「ファティマの手」と呼ば
れ、護符として用いられた。
中世のキリスト教世界では「悪魔のしるし」「魔女の十字架」などと
呼ばれ、魔術師の住居の戸口に刻まれた。
また、狼男は掌や足のかかとにペンタグラムを付けていると考えられていた。
 ユダヤでは、神の名を述べることはタブーであり、ペンタグラムはその秘密の名を表わす印章として使われた。
右図のペンタグラムのまわりに書かれた「テトラグラマトン」とは、四文字からな
る語という意味で、神の秘密の名を示すヘブライ語の四文字「YHWH」のことである。
ソロモン王の指輪にはこのペンタグラムが刻まれ、魔神を鎮める力を持っていたとされる。
 現代でも、ペンタグラムは秘密結社フリー・メーソンの紋章であり、またカバラ流の結婚式には、ペンタグラムの付いた冠が用いられる。

 日本でも、ペンタグラムは奈良時代の頃から陰陽師が使っていた。
安倍晴明にちなみ「晴明判」と呼ばれ、安倍晴明の屋敷跡と伝えられる京都の晴明神社の壁や提燈に描かれている。
(中略)

 志摩の海女たちは海の魔物から身を守るために、海に入るときにかぶる手拭や、
アワビを岩から剥がす磯ノミなどに「ドーマン」と「セーマン」という二種類の魔除けをつける。
セーマンとはペンタグラムの事であり、晴明判から来た名前である。
またドーマンとは、縦4本、横5本の線を格子状に交差させたもので、
安倍晴明と並ぶもう一人の陰陽師、芦屋道満の名から来た名前である。
これは、修験者が精神統一のため九字の印を結ぶときに空中に描く図でもある。
ペンタグラムと同じように、魔性のものが入り込んだら出られないという意味を持つ。
 (中略)

 ところで、ホロスコープ上に描かれる金星のペンタグラムは、厳密には閉じていない。
正確な会合周期と1年の長さをもとにして計算すると、スタートから8年後の金星の位置は、スタート地点に2日ほど足りない。
ファウスト博士の書斎には、この、完全には閉じていないペンタグラムが掲げてある。
ゲーテはこれによって、悪魔メフィストの入室を暗示したのである。」
いやはや、素晴らしい。


柴田晋平さんから「 西村さんが『(ペンタフラマは)魔方陣だとおもいます』とおっしゃっていますが、
このときの 魔方陣という専門用語の意味を知らないのですが、どういった意味なのでしょうか?」
という質問がありました。
魔方陣というのは数字を縦横に足して同じ値になるという数列ですが、
これは神秘的なもので護符の一種になりその意味で魔法陣と同じです。
真言九字(服部さんのいうセーマン)はこの手の魔法陣です。
「アニメ『魔法陣グルグル』というのが有りました。
残念ながら、朝日放送のは終了していますが、
SKYPerfecTVでやっていると言うことです。
子どもが好きでよく、見させられました。
簡単に言えば、悪魔封じの護符で、地面に書いて悪魔を呼んだり、閉じこめたり
できる重宝な図形です。
私の幼少の頃は、『悪魔君』(水木しげる)をテレビでやっていて
よく見たものでした。(昭和42年頃)
このドラマでも魔法陣を書いていました。
学問的には、服部完治さんがHPに詳しく書かれているのが
魔法陣に該当すると思います。」と回答したのです。

第1章で日本で○に変わって*や☆が星を表してきたのは江戸時代の中頃であったとしましたが、
西洋では、いつ頃からから五芒星が星に使われたのかという宿題が残っていました。

グロティウスの星座図帳(17)を見ますと星を表すのに*形ではなく面積のある六芒星で描いています。
この星図の表現を見てみますと、本当の星の配列ではありません。
図はプレアデス星団ですが、かなり様式化してあります。

 図4.9 グロティウス プレアデス 

この1600年に発行された星座絵は星の位置が実際とはかなり違うのです。
この星図の元絵は、9世紀のものらしいのですが
それには、星が◇で書かれているのです。
星座絵や星の位置の不正確さはそっくりなのに
星の書き方が変わってきています。
しかも、この星座絵の説明には占星術のにおいがぷんぷんします。
どうもこの辺りにヒントがありそうです。

この間の星形の変化を調べてみましたら(18)、

12世紀の「聖ジャン・ド・ロルナオの黙示録」にある細密画には星は細い六芒星です。
13世紀の聖ルイ王とブランシュ・ド・カスティーユの詩編集では、*です。
14世紀の占星術書では、星は○です。ただし、中には色違いの星には4本の光条が出ているものがあります。
15世紀の木版画でも星は六芒星です。
15世紀の「物の性質の本」にある細密画では、*です。
1490年の「羊飼いの堆肥」では、六芒星です。
1579年の「羊飼いの堆肥」では、*です。
1775年頃のアメリカの旗の星も六芒星です。
ですから16世紀までに、星は*から六芒星へと変化しているように考えられます。

さて、服部さんがお書きになっているように
錬金術・占星術・神秘主義が好んで☆形を使用しているのです。
占星術はもとより、錬金術もそのシンボルを星に求めています。
しかも、西ヨーロッパにこの傾向が強いように見受けられます。
なぜ、このオカッカルティズムが、キリスト教国家に現れたのでしょうか。
唯一絶対神のキリスト教では、星に神秘を求めることはおかしなことです。
神様は一人ですから、星が神のように人の人生に影響を与えることはできないし、
星の力で金を生み出すのもおかしげです。
しかし、クリスマスの夜は星のオンパレード。
クリスマスツリーのてっぺんにも☆が輝きます。
(イギリスのツリーは☆が半分、天使が半分という話もあります。)
星とキリスト教の出会いはどこからでしょうか。

4世紀、ローマ帝国で、アリウス派(ビザンチン教会)は、キリストは、三位一体を提唱する
ローマ教会と対立しました。
そこで、キリストが神の子であるという事を民衆に知らしめるために、
ローマ教会は、聖母受胎告知のキリストの星を作り上げたようです。
 
       父なる神−−神の子イエス  父なる神
           \  /           ↓子
            \/           イエス
 マリアに宿す ← 聖霊

       (ローマ教会の考え)     (アリウス派の考え)

マタイ伝や黙示録には、すでに占星術的表現があります。当時の民衆の精神構造の現れでしょう。
初期キリスト教会はアリストテレスを攻撃しますが、同じ手で占星術も攻撃しているのです。
それほど、占星術は流行ったのです。
4世紀頃のローマでは、ペルシアのゾロアスター教と関係の深いミトラ教が大流行していたようです。
ミトラ教の僧侶をマギといいますが、これはマジック(魔術)の語源で、
しかもマタイ伝では、マリア受胎の東方の3博士をマギと呼んでいます。
ミトラ教のマギは占星術を行っていたのです。聖母受胎告知の星は占星術で知ったということでしょう。
6世紀には、キリスト教は、天文学と占星術の一部は合法的なものとして認めていきます。
ルネサンスの時には、再び、古代の迷信を西欧に運んできます。
占星術は13世紀にイタリアで表舞台に出てきます。
15世紀まで、イタリア人の生活を支配するかの勢いでした。(19)
15世紀になると
また、西欧は、もとは森が深く、ケルト人が支配する土俗文化豊かな所でした。
その様な風土の所への布教においてキリスト教も、キリスト像、マリア像などへの偶像崇拝、
そして自然への信仰も許していったのではないでしょうか。
キリスト教に含み切れなかった土俗宗教が魔術になり、それが占星術や錬金術へとむすびいたのかもしれません。
「ハリーポッターの賢者の石」をお読みになったり映画をみられた方も多いと思います。
「ハリーポッター」の舞台となったスコットランドはケルト人の国です。
ケルト人がキリスト教化したのは、かなり遅いようです。
物語の中の「賢者の石」は錬金術で金に変える力を持った石なのです。
ちなみに中国の「練丹」は「賢者の石」のことです。
16世紀のティコ・ブラーエも、17世紀のケプラーも占星術を行っています。
18世紀のニュートンも錬金術に関係しています。(20)
この様に、魔術、錬金術、占星術の結びつきがキリスト教社会の裏側で生きていたのです。

もう一つ、考慮しないといけないことがあります。
イスラエルの国旗にある「ダビデの星」のことです。
服部さんの文章にもあるように、もともと、ユダヤの民の象徴はペンタフラマ(ソロモンの印章)であったようです。
ローマ時代にイスラエルが滅亡して以来、ヨーロッパへ流浪したユダヤ人は、
特に18世紀まで迫害され職業の制限や居住地(ゲットー)の著しい制限が科され、
ユダヤ人を示す帽子やマークをつけることが強要されました。
このユダヤ人の状況を大きく変えたのは18世紀末のナポレオンの登場でした。
彼の国民国家構想は、国民は身分や血統、宗教に関係なく、平等な権利を有することでした。
そこで、1791年、フランスではじめて、ユダヤ人に市民権が認められました。
この思想は、ナポレオンのヨーロッパ征服と共に輸出され、
ヨーロッパ全体でユダヤ人に対する市民権が与えられるようになったということです。(21)
それまでの「ソロモンの印章(五芒星)」から「ダビデの星(六芒星)」がユダヤ人のシンボルとして
18世紀ころから使われはじめました。
その時と同じくするように、星形が六芒星から、どうも☆(ペンタフラマ)になってきたように見えます。

西欧が起源の近代科学の始まりと近代市民思想の始まりはほぼ同時期といってよいでしょう。
中世キリスト教世界の中に閉じこめられてきた、古代からの様々なシンボルの一つである☆(ペンタフラマ)が、
西欧が近代社会に突入する中で、市民社会の紋様の一つとして星を表しだしたのではないでしょうか。
これは、おもしろいことに西欧だけでなく、西欧社会を受け入れた所に広がっていったと思います。
近代化したトルコ帝国の旗の星が五芒星になったのも19世紀中頃でした。
この頃、トルコでは、タンジマート(恩恵改革)の真っ最中で
上からの西欧化が進められた時でもありました。
日本でもそのころ、☆が星を表しはじめてきたのです。

ペンタフラマ自体の起源は大変古いのですが、
星をペンタフラマで表すのは結構、新しいのかもしれません。



文献
(1)新訳 ダンネマン 大自然科学史 第1巻 p268 1977 三省堂 安田徳太郎 訳・編
(2)ジョゼフ・ニーダム 中国の科学と文明 第2巻 思想史上 p282 1991
(3)漢書律暦志 中国の科学 川勝義雄・橋本敬造訳 p179 中公バックス世界の名著12 昭和54年 
(4)影山輝國 1999 月刊しにか 12月号 Vol.10 No.13 p20 大修館書店 1999年12月
(5)ジョゼフ・ニーダム 中国の科学と文明 第2巻 思想史上 p284 1991
(6)臼井正 2002 天文教育 2002年7月号 (Vol.14 No.4)P60 天文教育普及研究会
(7)http://www.usflag.com/info/
(8)http://www.j-flags-java.org/merumagaindexall.htm
(9)http://www.rd.mmtr.or.jp/~nakasima/dxccgid_t_tg.htm
(10)http://www.mainichi.co.jp/edu/school/news/2001/11/28/p-03.html 毎日小学生新聞HP
(11)http://homepage2.nifty.com/vexillology/turkey.htm
(12)エドワード・ギボン 村山勇三訳 ローマ帝国衰亡史  第10巻 p253、p255 岩波文庫  1988年2月
(13)http://www.j-flags-java.org/merumagaturkey.htm
(14)広瀬秀雄 太陽・月・星と日本人 雄山閣 昭和54年
(15)http://www.kagome.co.jp/qa/ カゴメのHP
(16)服部完治 「?」 No35 名古屋科学館友の会 天文クラブ一般クラス機関誌 昭和63年9月Vol.7 No.3 p14
(17)天文資料集No1 グロティウス「星座図帳」1999 千葉市郷土博物館    
(18)ジャン=ピエール・ヴェルデ 天文不思議集 荒俣宏監修 唐牛幸子 訳 1997 創元社
(19)ブルクハルト イタリア・ルネサンスの文化 一試論  p534 柴田治三郎 責任編集 中公バックス 世界の名著 56 昭和54年
(20)島尾永康 ニュートン p188 1979年 岩波新書
(21)http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210281.htm

 追記
2005年2月14日

1)16世紀初頭の聖母像の天上の星は6本線*である。 stella mausと書かれている星は8本で多少面積がある。
文献 「連とうの象徴に囲まれた聖母」 ニエロ版 画ケルヴェ版『時とう書』 ヨーロッパのキリスト教美術 下 エミール・マール 岩波文庫 2004年8月16日
p109 図25
2)13世紀 「霊魂をはかる聖ミカエル」祭壇画  八本線 中世の美術 編集座右宝刊行会(梅原龍三郎 他) 1965年12月18日河出書房新社 表紙
3)1086年 「忠信にして真実なる者とその軍勢」 ブルゴ・ドスマ大聖堂の黙示録 スペイン 8本の花びら 同上66図
4)11世紀中頃 『地上に落ちる星」 サン・スヴェールの黙示録 8本線でどちらかというと花びらに見える。ガスコーニュ地方 同上 67図
5)13世紀 サン・マルコ大聖堂(ベネチア)のモザイク 「旧約聖書より」では、神の手のまわりに五線の星が描かれている。 
 講談社版世界の美術6 ビザンチン高田博厚 p71
6)13世紀 同 「アダムとエヴァ」 図近く 6本線の星 中央に●、そのまわりに花びら 同書p72、74
7)13世紀 同 同 天井部 五線の星 同書p74
8)14世紀中頃 同 「キリストの洗礼」 8本線の面積を持つ星 同書p88

追記
2006年8月12日

9)1492年 コロンブス作とされる旧世の地図(ヴェネチア刊 パリ国立図書館蔵)の周りの恒星天の星は☆形である。
ミッシェル・ルケーヌ 著 大貫良夫監修 「コロンブス 聖者か、破壊者か」p5,p52,53
10)16世紀 「航海中、観測に従事するコロンブス」(フレスコ画、ビッティ美術館、フィレンツェ)に描かれている星は6から8本の光条をもつ。 
ミッシェル・ルケーヌ 著 大貫良夫監修 「コロンブス 聖者か、破壊者か」p47
11)1865年 コロンブスの肖像(カール・テオドル・フォン・ビロティの彩色版画)中の星は白い点で表されている。
ミッシェル・ルケーヌ 著 大貫良夫監修 「コロンブス 聖者か、破壊者か」p116
12)1563年 風向図(ペトロ・デ・メディナ著航海術 セビーリャ刊、パリ国立図書館)中の大きな16本の光条を持つがこれは16方位を表すかもしれない。
また、たくさんの小さな星は6本の光条を出す。
ミッシェル・ルケーヌ 著 大貫良夫監修 「コロンブス 聖者か、破壊者か」p44
13)1575年 「アストロラーベによる緯度の算出」(テヴェ著「世界誌」パリ国立図書館) 中の明るい星は☆形、暗い星は点に光条に見える。
ミッシェル・ルケーヌ 著 大貫良夫監修 「コロンブス 聖者か、破壊者か」p28