大瀧詠一 『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』

1981年 CBS/Sony Inc.


 田中康夫の『なんとなく、クリスタル』がベストセラーになった1981年、大瀧詠一の『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』がリリースされた。女の子は『ルンルン気分』で、デパートは僕たちに『不思議大好き』と話しかけ、広告の世界は元気いっぱいだった。コピーライターがスターだったのも、この頃である。

 僕が『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』を知ったのは翌年の夏だった。
 『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』に収録されている、『Velvet Motel』(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)は、コマーシャルソングだったりしたから、正確には何曲かは聴いていたけどね。太田裕美氏の『さらばシベリア鉄道』(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)とかも。

 1982年の夏は、なかなかやって来なかった。
 7月上旬は晴天が続き、早くも夏到来とメディアは叫んでいたけど、その後、台風の来襲や梅雨前線が停滞し、8月まで梅雨が明けなかったのである。当時、受験生だった僕は、「勉強しなくちゃ」というジメジメ梅雨気分を『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』で吹き飛ばしながら(決して吹き飛ばなかったけど)机にしがみついていた。昼間、ウオークマンを聴きながら、原付で予備校に通う毎日である。原付はノーヘルメットだった、と思う。
 深夜、トランジスタラジオをつけるとマイケル・ジャクソンの『スリラー』や、松田聖子が艶っぽく歌う『赤いスイートピー』が流れていた。
 また、この年からMTVのヒットチャートに登場する曲には、たいていビデオクリップがつくようになった。ビデオクリップの存在を『スリラー』で知った人も多いかも知れない。
 
 前置きが長くなってしまったけど、82年の気分を思い出してくれるとありがたいです。あの頃の気持ちに戻って『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』を聴くと、大瀧作品が分かるような気がするから。

 82年の夏、『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』は120%輝いていた。

 時代背景をもう少し、
 80年代以前は、僕たちを満足させるモノが少なかった。あっても、高価で手が出なかったりした。ところが80年代になると、しっかり選べばご機嫌なモノに囲まれた生活ができるようになる。僕たちは『ホットドックプレス』や『ポパイ』なんかを眺めながら、お気に入りの空間作りを楽しんだ。女の子なら、『nonno』、『JJ』かな。
 その空間作りに必要な音のアイテムが、大瀧詠一や山下達郎、オフコースが作る<世界>だったように思う。また、村上春樹の『風の歌を聴け』が文庫になったのも、82年。同年、村上は『羊をめぐる冒険』を発表している。大瀧詠一の作品も、村上春樹の作品も、80年代、僕たちにとって気持ちよく暮らすためのアイテムだった。90年代、初期の村上作品を読んでも、あの頃の輝きは失われている、と思う。大瀧作品をいま聴いても、あの頃のように輝かないように、ね。

 村上春樹に「初期の作品は素敵だったのに、なぜ、いまは違った作品を書くの?昔の方が良かったのに」と、迫る読者がいると何かで読んだ。ファンの気持ちは分かるけど、彼が初期作品の焼き直しを書かないのは当然だ、と僕は思う。現在、僕たちが(もしくは自分が)何を求めているのかを探るアーティストなら、時代とともにモチーフも表現方法も変化するのだから・・・。
 きちんとファンを裏切る村上は、嗅覚が優れた書き手だ、と僕は思っている。
 音楽世界では、井上陽水の嗅覚が非凡だと思うのだけど、どうだろうか。彼は、当時200%だったアルバム『氷の世界』を引きずらなかったし。

大瀧詠一が『ロングバケーション』を、その後も引きずったのは残念である。環境も僕たちの気分も変わってしまったのに、なぜ同じ世界に固執するだろうか、と思うのは僕だけだろうか。テープが伸びるほど聴いた『恋するカレン』(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)や『FAN×4』(作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)が120%輝いた時代は、僕の中では終わっていたのに。
 大瀧氏は時代の影響をあまり受けない、自分の世界を大切にする作家なのかも知れない。
 

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